デザインのはてな

身近なところでたくさんの発見!

表札の書体選びはこだわる?

 

f:id:kazuhotel:20170505070235j:plain

 

 パソコンで文章を打つときには、いくつかの書体の中から選ぶことができます。デザイン関連の仕事をしている人ほど、パソコンにたくさんの書体が入ってなかったとしても、必ず数種類はあるはず。ただ、自分で文書を作るときに、そこまで書体にこだわらなかったりもします。そういう私も、簡単な文書やメールまでは書体にこだわっていないので偉そうに言うことはできないんですが、本当はこだわらなければいけないところ。

 

書体なんて…と言う人もいるかもしれませんが、自分の大事なことになるとじっくり書体を選んでいたりするんですよね。例えば、家の表札。表札は苗字を伝えるだけではなく、その家の顔となるモノ。書体ひとつで伝わり方が大きく変わるので、自分で家を建てていざ表札を作ろうとなったら、シビアに書体を選んでいるのではないでしょうか。だから、誰しも書体の重要性は知っているはずなんです。趣のある家の表札が、かわいい丸文字だったらやっぱりどこかちがいますよね。もちろん言葉や文章の内容は大事ですが、書体にも同じくらいこだわってみると、伝わり方がガラリと変わるかもしれません。

 

 

あなた、どんなときに文字の書体を気にして選びましたか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

本では学べない?

 

f:id:kazuhotel:20170430141952j:plain

 

 本は、多くのこと学ぶことができてとても便利です。私も基本的には本で勉強をしてきました。でも、本で学べないことが山ほどある。10年ちょっと仕事をしてきてそう感じています。例えば、「人がストレスなく通れる廊下の幅は、最低80センチ」と本に書いてあったとします。でも、実際にいろんな場所に行くと、幅が70センチでも快適な所もあるし、逆に1メートルあっても不快な所もある。その場所の形や素材、色や照明、音や匂い、自分の身長や体格、そこを通る時間帯も関係しているかもしれない。だから、単純に「幅80センチあればOK」という判断が正しいとは思っていません。

 

以前、マンションの空間コーディネートの仕事中、部屋を見にきたお客さんと出くわしました。作業を中断して待ちながら、主婦がどんな所を気にして見るのか気になっていると、「ごはんよー!」という声が…。キッチンから部屋にいる家族を呼んで聞こえるかを、一緒に来ていた旦那さんと試していたんです。そんなことをするなんて、私の辞書にはありませんでした。主婦が気にするのは、キッチンや収納の充実、掃除のしやすさや洗濯機からベランダへの導線などだと思っていたので…。本で学ぶことも大事なことですが、リアルで学ぶこともそれ以上に大事。リアルな現場に行くと、学ぶことだらけです。

 

 

あなたが、本では学べないと思うのはどんなことですか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

見せたら来ない人は、見せなくても来ない?

 

f:id:kazuhotel:20170430141850j:plain

 

 美術展のポスターには、必ずと言っていいほど展示される代表的な作品の写真が使われています。学生の頃は、ポスターで載せちゃったら、そこで満足して美術館に足を運ばないんじゃないかと思っていました。でも実際は全然ちがって、ポスターで満足する人は、載せなかったとしても美術館には行かない人。逆に、画家の名前などの文字情報だけでピンとこない人が、作品を見て実物を観に行きたくなったりします。見せたら来ない人は、見せなくても来ない。

 

同じように、アーティストが曲のビデオクリップを動画サイトで公開するのもはじめは不思議でしたが、実際はビデオクリップ集などのDVD売り上げにマイナスの影響はあまりなく、宣伝や認知に大きく貢献しているようです。ジャンプで読んでいても漫画の単行本を買うし、テレビで生中継してたって実際に試合を観に行ったりします。はじめから何でもかんでも見せる必要はないと思いますが、見せることによってマイナスよりもプラスの効果が生まれるのかもしれませんね。

 

 

あなたは、内容を知っているけど実物を観に行きたくなったことがありますか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

誰でもいい席に選ばれる?

 

f:id:kazuhotel:20170430141740j:plain

 

「俺が出ている番組のポジションって、他の人でも成立しちゃうんだよねぇ…。でも、そんな誰でもいい席に選ばれることは実はスゴいことで、そこに居続けるってかなり大変なことだと思うんだ。」と、ある人気芸人さんが言っていました。冷たい言い方かもしれませんが、その人でなければ絶対に成立しない仕事はほぼ無いと思っています。昔は、「俺がここを辞めたら、回らないだろうなぁ」なんて思ったりしましたが、実際は人が変わっても問題なく回ってしまうんですよね。

 

「他の人でも出来る仕事なのに、なんで私に…」それは、適任だと思ったから。「今は私に任せてくれてるけど、もっといい人がいたらその人に変えるんでしょ…」確かにそうかもしれないけど、今はあなたが一番良いと思っているから頼んでいる。そう考えたら、他の人でも出来ることなのに自分が選ばれるってスゴいことに思えてきます。出来ない人には頼みませんし、少なからず信頼されているということですから。私はひねくれた性格なので、若い頃、仕事をくれた人にこんなことを聞いてしまいました。「周りには優秀なデザイナーがたくさんいるのに、どうして私に依頼したんですか?」。返ってきたのは、「あなたに頼みたいから」でした。

 

 

あなたは、誰でもいいことを頼まれたことがありますか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

安心材料があると何もしない?

 

f:id:kazuhotel:20170430141628j:plain

 

 都内に4店舗を構える人気のお店で働いている友人がいます。何度か足を運んだことがありますが、失礼ながら「ここを改善したらもっと良くなるのに…」と思うところだらけ。その友人も働いている同僚も同じようなことを思っているみたいなんですが、会社は特に何もしないそうです。その理由は、ネット販売で十二分に利益が出ているから。今がとても安定しているので、逆に手を加えて変わってしまうことを恐れているのかもしれませんが、伸びしろがたくさんあるだけに、もったいないなと感じてしまいました。

 

私の周りにいる人でチャレンジを続けている人は、決して環境に恵まれているわけではありません。大きな安心材料があるわけでもなく、むしろ厳しい状況に追い込まれていたりします。この先どうなるか分からない状況だったらチャレンジするしかないというのもありますけどね。今の状況を『安心』と捉えるか、『危機的』と捉えるかは人それぞれですが、現状に居心地がよくなりすぎてしまうと、いつの間にかチャレンジをしなくなってしまうような気がします。

 

 

あなたは、自分のやりたいことをやろうとすぐに動き出せますか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

  

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

名前を変えても気にならない?

 

f:id:kazuhotel:20170427023849j:plain

 

「他の名前に変えたときに、違和感があるかどうか?」。商品やサービス、自分のお店や会社に独自の魅力があるかどうかをチェックする方法の1つです。例えば、雑貨屋さんをはじめるとします。コンセプトを立てて、仕入れる商品や販売方法を考えて、個性的な内装にして…といろんなことを考えて、いざオープン!でも思うように売れず、巷で人気のある商品に入れ替えて、他のお店の集客方法を取り入れて、売り上げが回復♪ 気づいた時には、独自の魅力のないどこにでもあるお店になっていたなんてことがあります。そういうお店は、看板を他の名前に変えても違和感がないんです。

 

買い物をしても、覚えているお店とそうでないお店がありますよね。店名まで出てこないにしても「○○の駅の近くにあった、△△みたいな雰囲気のお店」と、具体的に覚えている。一方で、商品を気に入って買ったけど、どこで買ったかは覚えていなかったり、他の有名なお店で買ったと勘違いして覚えていたりします。単純に忘れてしまうこともありますが、覚えていないのはそのお店である必要が無かったとも言えます。独自の魅力をつくるのはとても難しいことで、それを客観視して判断するのも難しいことですが、もし迷ったら、似たことをやっている他の名前にしても成立するかをチェックしてみてください!

 

 

あなたが、今日買い物をしたお店は何ていう名前でしたか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

中ジョッキ=ビール?

 

f:id:kazuhotel:20170427023751j:plain

 

 居酒屋で飲み放題コースを選び、まずは中ジョッキを人数分頼み、いざ乾杯の一口目「んっ?…これ、ビールじゃない…」。飲み放題メニューに『中ジョッキ、グラス、ピッチャー』と書いてあったので、てっきりビールだと思ってしまいましたが、それはいわゆる第三のビールでした。確かに『ビール』とは一言も書いてないんですが、ちょっとガッカリ。その場は「まぁいいか♪」とそのまま楽しく呑んで終わったんで良かったんですけどね。

 

間違ったことや嘘を言っていない。言葉は足りないけど、どちらとも言ってはいない。伝える側よりも受け取る側の責任?。確かに捉え方の問題でもありますし、トラブルが起きたときに責任を回避するためには賢いやり方かもしれません。でも、それで良い関係が築けるかと考えると疑問が…。お店だったらお客さんに「また来たい!」と思ってもらいたいはずですし、会社だったら取引先に「また仕事を頼みたい!」と思ってもらいたいはず。その場をやり過ごせればいいという考え方だとは思いますが、言わないようにしていることの大半は、言っても結果が変わらないことのような気がします。

 

 

あなたは、事前の情報と実際が大きく異なったときに、どのように感じましたか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

説明できないときの分かれ道?

 

f:id:kazuhotel:20170427023647j:plain

 

 自分の提案に対して周りから質問や指摘をされたとき、つじつまが合わず、うまく説明ができなかったりします。説明しきれないということは、その提案に足りない部分や懸念が残っているということ。そんなとき、自分の提案に補う内容を追加して納得してもらおうとする人と、一度リセットして新たな提案を考える人がいます。どちらが良いもわるいもないんですが、前者に偏ってしまうと元々持っている自分の考え方から大きく変わらないのではないかと思っています。

 

極端な例ですが、昔の天動説。説明がつかない事実が出てきたときに、それをどうにか説明しようと天動説の正しさを説明しようとするよりも、新たに地動説の可能性を模索した方がよかったりします。単純な積み重ねが、正しい勉強法とは限らない。新しいことが増えたら整理、増えたら整理を繰り返すことが重要で、時にはそれまでの知識をリセットしなければいけないこともあります。せっかく新しい視点が増えても、それまでの考え方に固執してしまっているせいで、物事を柔軟に考えづらくなっているかもしれません。

 

 

あなたは、自分の話をどうにか押し通そうとしたことはありますか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓ 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

同じモノをつくってみる?

 

f:id:kazuhotel:20170427023518j:plain

 

 今でもたまにやっているデザインの勉強法があります。それは、他人のデザインを実際に同じようにつくってみること。例えば、気になったポスターがあったら、それを出来るだけ忠実に再現してみる。そうすると、つくっている段階で、自分では使わない文字や配置であることに気付きます。細かな配慮がされていたり、テクニックが用いられていたり。そして、パソコンでつくって終わらずに、それを印刷してみる。すると、同じようにつくったはずなのに、元のデザインと違いが…。どこに違いがあるのかをあらためて考えるのも勉強になります。

 

何かのデザインを見たときに、「こういう感じなら自分も出来る!」と思ったりしますが、実際は同じように出来ないことがほとんど。長くやっていると、どうしても自分のスタイルみたいなものが出来上がってしまいがちで、自分のクセや好みが必ず出てしまいます。それはそれで個性として良いのですが、表現の幅を広げたいなら、そのクセはちょっと厄介です。たくさん見て学ぶことはとても刺激になりますが、それを身に付けるなら見てるだけでは難しい。自分のつくったものを他の人が見たときに、「コレつくったのあなたじゃない?」なんて言われることが多くなってきたら、表現が偏っているサインかもしれません。

 

 

あなたは、自分がつくったことを知らない人から「つくったのあなた?」と言われたことがありますか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

数をこせば上手くなる?

 

f:id:kazuhotel:20170426180456j:plain

 

 今まであまり相性の良いマッサージ師さんに出会ったことがありません。だからマッサージに行くときは、実際に体が楽になるかどうかよりもマッサージをしたという充実感が目的です。先日、初めてのお店に行ってきたんですが、3時間待ちとのこと。悩みながらも、もうマッサージをやる気満々になっていたのと、家のすぐ近所だったで、予約をしてあらためて行ってきました。…で施術後、特に楽になることはなかったんですが、翌日朝起きたら驚くほど体が軽くなっていたんです。そこではじめて担当してくれたマッサージ師さんが上手だったと気付きました。

 

これまでは、予約しなくてもすぐに対応してくれるお店ばっかりでしたが、その日行ったお店は予約でいっぱい。腕があるから人気があるんですが、こなしている数がそれだけ多いから技術力が高いとも言えます。どんなに知識が豊富でセンスのいい人でも、たまにしか施術していなかったら上手くはなりませんし、たくさん練習していても実践が少なかったらやっぱり上手くはなりません。量より質という考え方もあって、確かに大きな経験が力になることもありますが、『実践の量』はとても重要です。ただ、1つ1つを丁寧に全力でやらないと、数をこなしてもあまり意味がなくなっちゃうんですけどね。寿司職人は、一人前になるまでに「飯炊き3年、握り8年」なんて言いますが、やり方を理解してその通りにできることと、その期間やることには大きな差があると私は思っています。

 

 

あなたが、数をこなして上手くなったことは何かありますか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

いつかの準備?

 

f:id:kazuhotel:20170423040749j:plain

 

 当たり前ですが、仕事をしていると、自分の都合のいいタイミングで依頼されることはほとんどなく、内容も期限もいろいろ。大きなチャンスが巡ってきても、間に合わせるので精一杯になってしまうこともあります。事が起きてからあれこれ準備しても、決まった時間の中でできることは限られています。でも、同じ状況下なのに、質の高いものを提供できる人と間に合わせるだけの人がいる…。自身の経験や周囲のやり方を見てきた中で感じたことは、準備をしているかどうかです。

 

「いつ起きるか分からないことの準備なんてやりようがない」と言われてしまいそうですが、そんなこともありません。具体的な準備だけではなく、普段からいろんなネタを集めておくことも準備の1つですし、いつ来てもよい心の準備も。仕事がいくつも重なってしまったときの対応をシミュレーションしたり、サポートしてもらえる環境づくりも大切なことです。経験によって培われることもたくさんありますが、「いつか○○なことがあったら、△△しよう!」だったら誰でも考えておけますよね。チャンスが巡ってきたときに、最高のパフォーマンスが出きるよう準備していたいと思います。

 

 

あなたが、やったことのある「いつかの準備」は何かありますか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

怒るのは悔しいから?

 

f:id:kazuhotel:20170423040650j:plain

 

 自分の呼ぶ声が小さかったり声が通らないだけなのに、店員さんが気付かないと、「お客さんには常に気を配っているもんだよなぁ」なんて思うことがあります。確かにそれは、お店の対応のあり方として理想的なところではありますが、そういう考えが真っ先に出てくるのは、自分の声に反応してもらえなかったのが悔しい・恥ずかしいの方が勝っているからだったりします。声が届いているかどうかも分からないのに、足りないのを相手のせいにしてしまうのは本当はおかしなことですよね。

 

例えば、何かのイベントを告知したのに反応がいまいちだったとき。「う~ん、こういった内容のイベントには興味が無いのかなぁ?そう考えると今の若い人は…」なんて、その結果の理由づけをしたりします。それも大事なことですが、イベントの内容ではなく告知の方法がわるかっただけかもしれませんし、告知自体がきちんと相手に届いていないのかもしれません。悔しい・恥ずかしいが先行してしまうと考えがブレてしまう。もっともらしい理屈で処理してしまうと、真実が見えなくなってしまうような気がします。私は悔しがりなので、自分では気付かないところでそう考えていることが結構あるかもしれません。気をつけたいです。

 

 

あなたは、挨拶をしたのに相手が無反応だったらどう考えますか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

人気の秘訣は半歩前?

 

f:id:kazuhotel:20170423040518j:plain

 

「世間が求めていることを、どんなふうに取り入れてますか?」「いえ、取り入れていません。」人気のある人のインタビュー記事の中に、そんなやりとりがありました。人々が求めているのは、自分には無い価値観や新しい感覚。それらを埋める作業が楽しいから興味を持つのであって、こちらから世間に近づけるということは、その楽しみを奪ってしまうことに等しい。もし人気を保つ方法があるのだとしたら、常に半歩前を走り続けて、隙間が埋めきれない状態を維持することかもしれませんねと。

 

需要に合わせて提供しているものは、一見、支持されているように見えますが、必要なものとして選ばれているだけで、追いかけられているわけではなかったりします。温度感や空気を読んで合わせることも時には重要ですが、読みすぎてお互いの間が埋まってしまうと、応援する理由が無くなってしまうのかもしれません。長い間人気を保っている人をそういう視点で見てみると、確かに新しい一面を見せ続けているんですよね。

 

 

あなたがファンになった人は、常に前を走っていますか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

振り切ったら感動に変わる?

 

f:id:kazuhotel:20170421064015j:plain

 

 トイレを借りにゲームセンターに入ったら、画面の前でダンスをするゲームに人だかりができていました。踊っているのはアイドルのダンスを完コピしている男性。通りがかった瞬間は、みんな「何あれ~」なんて言っているのに、真剣な目で汗だくになりながらキレッキレのダンスを踊っているのを見て、少し経ったら「すご~い!」に変わり、最終的には拍手してしまっているんです。やっぱり何でも振り切ってやっていたら感動させる力があるのだとあらためて感じました。

 

人を惹きつけるために何が必要か?をたまに考えたりしますが、少し前までは一生懸命やることだと思っていました。でも、それだけではなくて、振り切っていることが大事。どんなに一生懸命やっていても、他のことを気にしながらやっていたり、そこに100%力を注いでいなかったら、人を惹きつけるには至らない。あくまで私の経験の中だけの話になってしまいますが、スキルが未熟でもたくさんの人に応援されている人もいれば、技術力はあってもなかなか支持されない人もいて、その両者の違いは、振り切っているかどうかだったりします。「振り切ってやらないと、人の心は動かせない」。いろんなことを気にしながら何でもやっている私はまだまだです。

 

 

あなたが、心を動かされた身近な人は、どんなふうに取り組んでいましたか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

思いついてもやらない?

 

f:id:kazuhotel:20170421063846j:plain

 

 夜間に車を運転する際、上向きのライトで遠くを照らすハイビームを乱用してはいけない。中国の一部の地域ではそんな決まりがあって、罰金や減点の他に、ハイビームの目の前に座らせるなどの変わった罰を違反者に実際に行ったそうです。また、ハイビーム抑止のために、車の後部ガラスに貼るシートで、普段は透明だけど後ろの車からハイビームが当たるとお化けが浮かび上がる面白いグッズも販売されているといった話題も出ていました。笑ってしまったと同時に「思いついてもやらないなぁ…」と。実際にやってしまうところに感心してしまいました。

 

企画を練ったりアイデアを出し合う場で、面白い意見はたくさん出ます。でも、進むにつれてそういった意見は省かれていって、結果的に無難なカタチにおさまる。問題を解決する策をマジメに考えるような場では、ユーモアで解決しようなんて思いもしないし、面白いアイデアを思いついても発言しません。法律で禁止されていることや誰かを傷つけるようなことでなければ、やってもいいはずなのになぜかやらない。決してふざけているわけではないのに、「常識的に考えて…」なんていうもっともらしい意見でアイデアが消えていくと、体裁を整えたいだけではないか?と感じてしまうときがあります。

 

 

あなたが、実際にできることを思いついてもやらなかった理由は何ですか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain