デザインのはてな

身近なところでたくさんの発見!

文句を言う前に自主プレ?

 

f:id:kazuhotel:20171015201149j:plain

 

 実務経験が無い状態ではじめて勤めた会社。デザイナーとして採用してもらいましたが、デザインの仕事をやらせてもらうまでに半年ぐらいかかりました。でも、ごくごく当たり前の話。採用時の面接や作品集を見せられた程度では本人の力量が分からないので、上司や先輩は仕事をふれないんです。信頼関係もありませんしね。私がとった方法は、とにかく自主プレゼンテーションをしまくること。先輩の仕事を盗み見して、勝手に自分も同じテーマでデザインを考えて持って行く。与えられた仕事では無いので業務時間ではできませんし、見てもらえるかも分からないことです。でも、それを繰り返すことで、「じゃあ、次のコレやってみる?」と声をかけてもらいました。

 

デザイナーとして採用されても、デザインの仕事がやらせてもらえないという話をたまに聞きます。大きな会社では、本人の意欲や能力に関わらずそうなってしまうケースもありますが、小さな会社でそうなる場合は本人によるところが大きい。きつい言い方ですが、その仕事ができるようになるための行動が足りてないイメージです。勉強はみんなやっていることだから、それ以上のアクションが必要になる。あんまりこういったことを言うとブラック企業的な話に聞こえてしまうかもしれませんが、待っている人にはなかなか仕事が来ないのは確かです。先日、ある地方のタクシー会社で、運転手さんが観光ガイドをしながらお得に観光名所や食事を楽しめるバスツアーのような貸切プランを立ち上げていました。まさに自主プレ。「利用者が減った」と文句を言ったところで、お客さんが自然に増えるわけではありませんからね。

 

あなたは、仕事に関わらず自分から売り込んだ経験はありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

素晴らしいテクニック?

 

f:id:kazuhotel:20171015201045j:plain

 

 専門的に携わっていると、本質を見落としてやすくなってしまう印象があります。「これには〇〇のテクニックが使われていて素晴らしい」と、技術面にばかり着目してしまう。例えば、エンターテイナー。そのショーに難しい技術が使われていたとしても、披露した会場が盛り上がらなければ、その技術はその場では合っていません。逆に、使われていた技術がありきたりのものであったとしても、ショーがものすごく盛り上がったのなら、その技術は素晴らしい。だから、もし技術面を評価するとしてら、難易度ではなく効果で考えるやり方もあると思っています。競技などはまた別ですけどね。

 

デザインを教えてほしいと声をあげる人達も、「難しいテクニックを覚えたい!」が先行していたりします。それは間違いではないんですが、仮に覚えたとしてもきっと使い方が分からない。あくまで私の経験ですが、「こう感じてもらいたい!」「だったらこんな方法があるよ」のやりとりで教えてもらったことが身に付いている感覚があります。覚えるなら、巧い・難しいテクニックよりも、〇〇にピッタリのテクニック。あるとき学生時代の先生が、みんながチヤホヤしていたポスターを例にあげて「この広告ポスターは美しいけど、全然効果が無かったそうですよ」と。そのテクニックは、多くの学生(専門の人たち)を魅了した点では素晴らしいものでしたが、その広告の目的として素晴らしかったかどうか?今でも考えさせられます。

 

あなたは、難しい技術だから魅力的に感じたことはありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

500円でも高い本?5,000円でも安い本?

 

f:id:kazuhotel:20171013192832j:plain

 

 滅多に料理をしないなら、たとえ割高でも必要な分だけ材料を買った方が良かったりしますよね。1個だと78円。3個入りが198円で1個当りの価格が66円だとしても、余らせて残りを無駄にしてしまったら、1個を198円で買ったのと同じようなものです。これは費用対効果の分かりやすい例ですが、逆のパターンもあります。極端ですが、100円のボールペンよりも1万円のボールペンの方が費用対効果が高くなることだってある。時給1,000円で働いている人が、仮にそのボールペンを使うことで仕事が2倍はかどるなら、数日で元が取れてそこからは効果が上がる一方になるというわけです。

 

ある会社で、専門誌を定期購読しようという話になりました。1冊ずつ購入するよりはるかに安く、社員のスキルアップに役立つと考えたからです。結果は、届いた雑誌が誰の目を通すことなくストックされていくだけ。費用対効果は0で、1年間で2万円かかったとしたら、その2万円は無駄になってしまったことになります。その後、1人の社員が自分たちの部署で勉強するために専門書を会社で購入してもらえないかと相談しました。本の価格は7,000円。でも、そんな高額な本は買ってあげられないと却下されました。与えられた本よりも、自分たちが求めた本の方が効果が見込めますが、見た目の費用がネックになったからです。かけた費用に対する効果は正確に測れませんし、結果論なのでその費用をかけるべきかの判断は難しいことですが、費用をかけずに効果を上げる方法がベストだという考えに偏ってしまうと、本来の目的は達成しづらくなってしまうかもしれません。

 

あなたは、高額だったけどそれ以上に得たものが大きかった経験はありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

ジャケ買いさせる後ろめたさ?

 

f:id:kazuhotel:20171013192716j:plain

 

 「ジャケ買い」。私はときどき中身を確認することなくパッと見た印象で商品を購入してしまいます。本だったら装丁、商品だったらパッケージ、CDだったらジャケット…。手に取ったときのイメージとピッタリのときもあれば、全然違うこともあって、基本的にはどちらの場合も楽しんでいるんですが、唯一ガッカリするときがあります。それは、嘘だったとき。虚偽表示はしてはいけないので文字通りの「嘘」はないのですが、内容とは無関係の表現や過度のデフォルメがあったりすると、「えっ言ってたことと違うけど??」となってしまうんです。缶のコーラを買って、思っていた味のコーラではなかったのは有りですが、中身がサイダーなのは無しといった感じ…。表現は主観によるものなので、それが内容を表していると言えばそれまでですけどね。

 

私は仕事柄、そういった見た目を考えることも多いのですが、これまで不安になることが度々ありました。「商品を手に取ってくれた人を裏切っていないか?」「広告を見て行動を起こしてくれた人を騙していないか?」…。そのときに自問自答するようになったのが、「嘘はないか?」です。そこさえクリアしていれば、自分が考えた表現は受け入れてもらえるはず!と捉えるようになりました。あくまで私の経験の1つですが、自分がやっていることに対して不安になるようなことがあったら、「ここさえ守ればOK」という項目を作ると、自信を持って伝えられるようになるかもしれません。

 

あなたは、自分が不安になったときの対処法を何か持っていますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

「具体的に言ってください」はNG?

 

f:id:kazuhotel:20171012020707j:plain

 

 「具体的に指示してください」。私の中では、ディレクターやデザイナーが絶対に口にしてはいけないNGワードの1つです。だいぶ前に喫茶店で、電話のこんな話が聞こえてきました。「この文字の色は何色にすればいいですか?隙間は何センチ空けましょうか?……う~ん、こちらはベストなデザインを提案しているんですから、もしご納得いただけないなら具体的なデザインの指示をもらえないと…」。気持ちは分からなくもありませんが、お客さんがどんなに漠然とした抽象的なことを言っていても、矛盾するような要望をあげていても、それを具体的なカタチにするのがディレクターやデザイナーの仕事です。

 

そんな話をすると反発されたりもしますが、自分の力量の無さを説明しているようなもの。例えば、何度出しても納得してもらえないのは、単純に相手の要望を捉えらたデザインではないだけの話で、デザインを見せるたびに意見がコロコロ変わって困るというなら、それは相手の考えを整理できていないからです。でも、これがとても難しいことなので、自分たちを正当化して相手に責任をなすりつけてしまう…。偉そうなことを言ってはいますが、正直私も同じように苦しくなることがあります。ただ、それを相手のせいにしてはダメ。もっとインタビューが上手で、相手の考えを整理できて表現力があれば、そうはならないはずだからです。はじめから具体的な要望があれば別ですが、具体的なことは自分たちが考えなければならないと思っています。

 

あなたは、「具体的に言って!」と言われて困った経験はありませんか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

コンペの目的は賞じゃない?

 

f:id:kazuhotel:20171012020604j:plain

 

 自分のデザインがどれだけ通用するか?の腕試しに、公募のコンペに参加することを勧められ、20歳頃から不定期ですが参加するようにしています。当初は「絶対、賞を獲ってやる!」と、勝ち負けしか考えていませんでしたが、勧めてくれた意味が社会に出てから分かりました。それは、同じ課題に対して、たくさんの人が真剣に取り組み、具体的な答えを出すという機会がほとんどないから。たくさんの具体案を知ることができるのがコンペの魅力というわけです。経験も立場も関係なく、たくさんの人が同じ土俵に集うことはなかなかありませんからね。

 

社会に出ると、ある課題に対して他にどんな回答があるかを体感する機会が極端に少ない印象があります。似たような課題ではなく、同じ課題であることに意味がある。条件や環境が異なったら、似たような事例は参考にならないのでは?と考えてしまう人もいます。あるとき、同じように悩んでいた後輩に対して、その後輩が取り組んでいた課題を私もやってみたことがありました。すると、真剣に自分なりの答えを出したこともあり、深いところでお互いの考えを共有できて、その後のコミュニケーションが円滑になったんです。『同じ課題に対して、それぞれが具体案をまとめる』。他の人の考えを知りたい人だけでなく、自分が上の立場だったとしても信頼関係を築くのにピッタリなので、機会があったらやってみてください!

 

あなたは、同じことをやったことで、相手との違いを実感した経験はありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

主人公は人気投票1位にならない?

 

f:id:kazuhotel:20171010040616j:plain

 

 最近はほとんど読まなくなってしまいましたが、子供の頃に読んでいたマンガ雑誌でよく登場人物の人気投票をやっていました。そのたびに気になっていたのは、必ずと言っていいほど主人公が1位にならないこと。人気マンガになるほど、主人公の順位は下がっていた印象があるぐらいで、個性的なキャラクターや情に厚いキャラクターなど、登場頻度に関わらず主人公を超える人気のあるキャラクターがいました。逆に、主人公が1位のマンガは、(失礼ですが)短命に終わっていたような…。そう考えてみると。確かに主人公の印象が全てになってしまっているマンガは面白くなかったかもしれません。

 

よく買っている雑誌なら、メインの特集よりも毎回掲載されている1コーナーが好きだったりするように、人気のある雑誌はサブキャラクターに力を入れています。よく間違えた方向に行ってしまうのは、主人公を1番にしようとすること。主人公に色気を加えたり、個性を強くしたりして、結局飽きられてしまうんです。主人公は王道で良し。王道があるから、周囲の個性が引き立つわけで、そもそも王道がなかったら個性も何もありません。個性や色気は他で出せばいいと考えるべきです。もちろん、個性的なキャラクターが集まって魅力的になることもありますが、うまくいくときと全くダメなときの波が激しかったりするので、もし安定した強いチームを作りたかったら主人公は王道でいるべきだと思いますが、実際はどうなんでしょうね。

 

あなたが、昔から好きなモノにはどんな特徴がありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

絶対にフォローしてくれる人がいる?

 

f:id:kazuhotel:20171010040411j:plain

 

 お笑い芸人ブラックマヨネーズの吉田さんが自分たちのスタイルについて語っていた中で、他のコンビと違うとしたらココではないか?という印象的な話がありました。それは、一切躊躇なく自分がボケられる点。プロのお笑い芸人は計算してボケることほとんどですが、相方のツッコミまで考えてボケると一拍テンポが遅くなったり、ツッコミやすい縮こまったボケになったりして、思いきったボケができないそうです。加えて、ツッコんでもらえるか分からないと不安で仕方がなくなる。だから、自分たちの場合は、相方の小杉さんがどんな細かいボケでも絶対にツッコむという信頼関係を築くことをまず徹底したそう。「自分(吉田さん)がのびのびと自由にボケられるのは、小杉が絶対にフォローしてくれるから」と。

 

私が普段の仕事で思いきってできたときの状況を振り返ると、そこには必ずフォローしてくれる人がいました。思いきってやると言うのは、好き勝手自由にやるという意味ではなく、一番良い方法を真剣に考えること。でも、立場や状況によっては、残念ながらそれができなくなってしまうんです。あるとき、今までとはガラリと雰囲気を変えて撮影したいという要望がありました。しかし撮影当日、依頼主の会社の偉い人が現れ、今までと同じように撮影するよう細かく指示…。そこにいた私も含め、カメラマンやその会社の従業員の方も「雰囲気を変えるんですよね?」とツッコみたくなりましたが、それはできませんでした。理由は、先方の担当者やこちらの責任者がそっぽを向いてしまったから。

 

自分が思いきってできるときは、絶対にフォローしてくれる人がいる。だから、仲間に思いっきりやってほしいときは、自分が絶対にフォローするという姿勢を見せないといけない。個人で責任を背負う意識も大事なことではありますが、誰もが萎縮したまま仕事をする不思議な現場が多いのは、何か起きても大丈夫と思えるような心強い人がすぐ近くにいないからかもしれません。

 

あなたは、どんなときに思いきってできましたか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

  

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

大人にはできない子供の質問?

 

f:id:kazuhotel:20171007014849j:plain

 

 あるイベントでの直接本人に質問できるコーナー。「どんな質問コーナーだったら観てみたい?」と聞かれて、「子供が質問するコーナーだったらおもしろそう♪」だと答えました。自分が普段どんなときに興味を持って観てしまうかを思い返すと、ワイドショーなどで記者が芸能人に聞く質問はどれも面白くなく、子供が質問しているのはついつい観てしまうんです。大人の質問は、相手の立場を考えて、当たり障りのないことや答えが予め用意されているような質問になりがちで、ドキッとさせられることがありません。でも、子供の質問、例えばスポーツ選手に子供が質問するような場では、単純に知りたいことを聞いたりするので、気持ちが伝わり、質問された大人も真剣に答えるので面白いんです。子供も空気は読みますが、大人ほど空気を読みすぎないんですよね。

 

これを聞いたら怒られるだろう…。ここで水を差してはいけない….。そうやって本当に知りたいことを濁して質問するぐらいなら、思い切って聞いた方がいいと思っています。もちろん、大人は礼儀やマナーは守らなくてはなりませんが、そこで遠慮やヨイショは不必要。何より、本気で聞かないと相手も本気で答えてくれません。私が芸能人の囲み取材などをテレビで観ても何も感じないのは、きっと質問者も回答者もどちらも本気じゃないから。そんな気がします。

 

あなたは、自分が好きな有名人にどんな質問をしてほしいと思いますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

相手がやりやすい方法で?

 

f:id:kazuhotel:20171007014748j:plain

 

 知り合いがお店を出したので、開店祝いに花を贈ろう。派手にお祝いしたいなぁ。胡蝶蘭は値段が高いと悩んでいたけど、調べたところ、パチンコ屋の新装開店や「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングで見かける大きな花輪は1~2万円らしい。安いし、目立つし、レンタルなので相手が処分に困ることも無い…。まさに一石三鳥♪

 

…そんな発想にたどり着いたとしても、実際に花輪を贈る人はほとんどいません。理由は、相手に迷惑が掛かるかもしれないから。いくら気持ちだとはいっても、相手が受け取りやすいものを考えて贈ります。そんなふうに普段の生活だったらやっていることなのに、仕事になるとできなくなるから不思議…。例えば、何かのデータを送るとき。相手の環境や使っているソフトなどを考慮して、使いやすいデータ形式で送れば済む話なのに、ポーンと手元にあったデータをそのまま送ったりします。「すいません、送っていただいた画像なんですけど、エクセルに貼り付けられなくて…」。依頼した人も、相手が二度手間にならないように「エクセルで使いたい」と一言足せばいいだけの話です。最近、仲の良い先輩との雑談で、「結局は、思いやりがあるかどうかだよね」という話をしましたが、きっとそういうことが普通にできる人が、いろんな面で結果を出していくのではないかと思っています。

 

あなたは、どんなときに相手の都合で手段を選びますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

全部並べて比較する?

 

f:id:kazuhotel:20171007014637j:plain

 

 先日、ある撮影があり、私はコーディネートを担当させていただきました。持っていった雑貨や小物はダンボール5箱分ほど。カメラマンたちが撮影準備をしている間、私は持ってきた雑貨を全て開けて床に並べました。1つずつきちんと梱包されていたので、また後で梱包するために丁寧にテープを剥がしたり…。時間のかかることですが、できるだけそうやって全てが一目で見える状態をつくるようにしているんです。「後でまた梱包しなくちゃいけないんだから、使うものだけ開ければいいのに…」と、周囲から見たら無駄に思える行動かもしれませんが、私にはそれが必要で…。

 

何かを比較するとき、同時に見ないで比較するケースが多いような気がします。例えば、A4サイズで1枚に1案ずつ印刷されたデザイン案。その束を1枚ずつめくりながら見ていく…。そうすると、見る順番など提案内容以外のことが影響して、同じように比較できなくなります。だから、デザイン案を審査をする人などは、必ず全てをテーブルに並べたり、壁に貼り出して比較するんですよね。平等に比較できるだけでなく、選ぶスピードも早いのも魅力で、「あっちの方が良かったかなぁ…」とAとBを行ったり来たりすることも無くなります。どちらが良いか選ぶのが苦手な人を観察していると、2つを並べて見ていないから選びにくいだけなのかもしれません。

 

あなたは、たくさんの中から1つを選ぶとき、どうやって比較していますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

採用されると良かった点を、ボツになると悪かった点を探す?

 

f:id:kazuhotel:20171006235215j:plain

 

 何かをやった後の振り返り反省は、次につながる大事なこと。でも、どんなふうに振り返っているか傾向を見ていると、私に限らず他の人にもある特徴があります。それは、採用されると良かった点を探して、不採用になると悪かった点を探す傾向。採用されたときは、「ここが評価されたんだな♪」と高評価ポイントを探すことが先立って、ダメだったところは後回しに…。逆に不採用のときは、「どこがダメだったのかなぁ…」と採用に至らなかった理由を探してしまい、その時には自分たちの提案の良かったポイントを振り返らなかったりします。

 

どちらもわるいわけではありませんし、嬉しいときは喜んで、悔しいときは反省していいと思っています。でも、そこで採用されたにしろ不採用になったにしろ、その時点ではまだ途中。その後につながる行動をとらない手はありません。だから、採用されたのなら、もっと磨き上げるために何かをやるべきで、不採用なら他の手を考えるのと同時に、不採用案をどうしたら採用されるまでに持っていけるかを考えた方がいい。採用基準が80点だったとしたら、81点で採用された案も79点で不採用になった案も、どちらも未熟な状態です。100点満点なら別ですが、もし合否の結果をただ聞いただけだったら、良い点と悪い点のどちらかではなく、その両方を洗い出してみるべきかもしれません。

 

あなたは、どんなふうに結果を振り返っていますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

調整は0.1mm単位?

 

f:id:kazuhotel:20171004152614j:plain

 

 文字を目立たせたいとき。見やすくしたいとき。美しく見せたいとき…。私に場合は、細かいところまでその文字に手を加えるようにしています。文字と文字の間隔を全体的に帰るのではなく、1箇所ずつ微妙に変えたり、線の太さを部分的に変えたり…。テキストとして入力するような場合は別ですが、そこまでやるのはとても重要。たった0.1mmのちがいでも印象はガラリと変わります。当たり前と言えば当たり前ではあるんですが、恥ずかしながら昔はそこまでこだわれませんでした。

 

それが変わったのは、学生時代にあるポスターを同じように作るトレーニングをしたのがきっかけ。文章の部分を同じ字体、同じ大きさの文字で入力してみると、同じようにならなかったんです。「まあいいか♪」とそれを印刷してみると、元のポスターとは文章の読みやすさや美しさに雲泥の差が…。あらためて同じように作ろうとしたときに、元の文章が一文字ずつ調整されていることが分かり、その重要性に気付かされました。0.1mmまでこだわれ!とよく言われていまいちピンとこなかったことに、そこでようやく納得。それから意識が変わったような気がします。たかが0.1mm、されど0.1mm。私はまだまだこだわりきれてないところもありますが、そこにこだわれるかどうかが、デザイナーとして問われるところなのかもしれません。

 

あなたは、何かを作るときに細部までこだわっていますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

中に何かありそうだから気になる?

 

f:id:kazuhotel:20171004152435j:plain

 

 子供の頃、学校に設置してある百葉箱の中身が気になってしかたがなかったときがありました。「中で何かが住んでいるに違いない…」「隙間の感じが蜂の家にちょうど良さそう…」「真っ白だから、救命道具が入っているのかな?」「何かの組織の秘密装置が入っているのかも…」。いろんな想像を楽しむために、あえて自分からは調べないようにしていたような気もします。隠されているから想像する楽しみがある。

 

すべてをオープンにした方が良いという考え方もありますが、興味を持ってもらいたいときは、すべて出さないという考えもアリだと思っています。むしろ隠す。ただ、Aという事実を伝えないだけだと、そもそもAの存在自体に相手が気付かないので、隠していることは相手に知ってもらわないと意味がありません。「実はずっと内緒にしていたことがありまして…」と言われてグッと心を掴まれたり、「今日はこの辺りまでで話はやめておきます…」で、その先の話が気になって仕方がなくなったり。何かあるけど今はまだ分からない。そのちょうどいいラインを作れると、相手に興味を持ってもらえるような気がします。煽っておいて中身が期待に添えないと逆効果になってしまいますけどね。

 

あなたは、隠されて気になった経験はありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain

 

外見はあくまできっかけ?

 

f:id:kazuhotel:20170929233209j:plain

 

 オシャレな服を着て元気が出たり、明るい色の服を着て少し明るい気分になったり、洋服ひとつ変えるだけ内面も大きく変わることもあります。だから、外見を変えることには確かに意味がある。でも、カッコよくなりたいからといって、カッコいい服を着てもそうはなりません。品のある人は、品のある服を着ているからそう見えるわけでもない…。だから外見を変えれば、そうなるというのは少しちがいます。『外見はあくまできっかけにすぎない』。

 

店構えがギラギラしているのを見て、「高そうなお店~」と感じるのに似ていて、それはあくまでも「高そう」止まり。「高級なお店だ」と納得するまでには至りません。お店の中の商品を見て、接客を受けて…、内面を知ってはじめてそうなる。それで言うと、カッコいい服を着てるだけの人は「カッコ良さそうな人」なだけです。それを「カッコいい」にできるかどうかは結局、中身次第。外見を変えることの意味を見誤ると、ただただ着飾ってるように見えてしまうかもしれません。外見を変えることでそれに合わせようとする作用が働くので、大概は少しずつ追いついていくものですが、はじめから「外見を変えれば大丈夫!」と考えてしまうと、ちょっと危険だと思ってます。

 

あなたは、外見を変えたことで中身も変化した経験はありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

f:id:kazuhotel:20160612063723j:plainf:id:kazuhotel:20160612063723j:plain