デザインのはてな

身近なところでたくさんの発見!

「具体的に言ってください」はNG?

 

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 「具体的に指示してください」。私の中では、ディレクターやデザイナーが絶対に口にしてはいけないNGワードの1つです。だいぶ前に喫茶店で、電話のこんな話が聞こえてきました。「この文字の色は何色にすればいいですか?隙間は何センチ空けましょうか?……う~ん、こちらはベストなデザインを提案しているんですから、もしご納得いただけないなら具体的なデザインの指示をもらえないと…」。気持ちは分からなくもありませんが、お客さんがどんなに漠然とした抽象的なことを言っていても、矛盾するような要望をあげていても、それを具体的なカタチにするのがディレクターやデザイナーの仕事です。

 

そんな話をすると反発されたりもしますが、自分の力量の無さを説明しているようなもの。例えば、何度出しても納得してもらえないのは、単純に相手の要望を捉えらたデザインではないだけの話で、デザインを見せるたびに意見がコロコロ変わって困るというなら、それは相手の考えを整理できていないからです。でも、これがとても難しいことなので、自分たちを正当化して相手に責任をなすりつけてしまう…。偉そうなことを言ってはいますが、正直私も同じように苦しくなることがあります。ただ、それを相手のせいにしてはダメ。もっとインタビューが上手で、相手の考えを整理できて表現力があれば、そうはならないはずだからです。はじめから具体的な要望があれば別ですが、具体的なことは自分たちが考えなければならないと思っています。

 

あなたは、「具体的に言って!」と言われて困った経験はありませんか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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コンペの目的は賞じゃない?

 

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 自分のデザインがどれだけ通用するか?の腕試しに、公募のコンペに参加することを勧められ、20歳頃から不定期ですが参加するようにしています。当初は「絶対、賞を獲ってやる!」と、勝ち負けしか考えていませんでしたが、勧めてくれた意味が社会に出てから分かりました。それは、同じ課題に対して、たくさんの人が真剣に取り組み、具体的な答えを出すという機会がほとんどないから。たくさんの具体案を知ることができるのがコンペの魅力というわけです。経験も立場も関係なく、たくさんの人が同じ土俵に集うことはなかなかありませんからね。

 

社会に出ると、ある課題に対して他にどんな回答があるかを体感する機会が極端に少ない印象があります。似たような課題ではなく、同じ課題であることに意味がある。条件や環境が異なったら、似たような事例は参考にならないのでは?と考えてしまう人もいます。あるとき、同じように悩んでいた後輩に対して、その後輩が取り組んでいた課題を私もやってみたことがありました。すると、真剣に自分なりの答えを出したこともあり、深いところでお互いの考えを共有できて、その後のコミュニケーションが円滑になったんです。『同じ課題に対して、それぞれが具体案をまとめる』。他の人の考えを知りたい人だけでなく、自分が上の立場だったとしても信頼関係を築くのにピッタリなので、機会があったらやってみてください!

 

あなたは、同じことをやったことで、相手との違いを実感した経験はありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

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主人公は人気投票1位にならない?

 

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 最近はほとんど読まなくなってしまいましたが、子供の頃に読んでいたマンガ雑誌でよく登場人物の人気投票をやっていました。そのたびに気になっていたのは、必ずと言っていいほど主人公が1位にならないこと。人気マンガになるほど、主人公の順位は下がっていた印象があるぐらいで、個性的なキャラクターや情に厚いキャラクターなど、登場頻度に関わらず主人公を超える人気のあるキャラクターがいました。逆に、主人公が1位のマンガは、(失礼ですが)短命に終わっていたような…。そう考えてみると。確かに主人公の印象が全てになってしまっているマンガは面白くなかったかもしれません。

 

よく買っている雑誌なら、メインの特集よりも毎回掲載されている1コーナーが好きだったりするように、人気のある雑誌はサブキャラクターに力を入れています。よく間違えた方向に行ってしまうのは、主人公を1番にしようとすること。主人公に色気を加えたり、個性を強くしたりして、結局飽きられてしまうんです。主人公は王道で良し。王道があるから、周囲の個性が引き立つわけで、そもそも王道がなかったら個性も何もありません。個性や色気は他で出せばいいと考えるべきです。もちろん、個性的なキャラクターが集まって魅力的になることもありますが、うまくいくときと全くダメなときの波が激しかったりするので、もし安定した強いチームを作りたかったら主人公は王道でいるべきだと思いますが、実際はどうなんでしょうね。

 

あなたが、昔から好きなモノにはどんな特徴がありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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絶対にフォローしてくれる人がいる?

 

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 お笑い芸人ブラックマヨネーズの吉田さんが自分たちのスタイルについて語っていた中で、他のコンビと違うとしたらココではないか?という印象的な話がありました。それは、一切躊躇なく自分がボケられる点。プロのお笑い芸人は計算してボケることほとんどですが、相方のツッコミまで考えてボケると一拍テンポが遅くなったり、ツッコミやすい縮こまったボケになったりして、思いきったボケができないそうです。加えて、ツッコんでもらえるか分からないと不安で仕方がなくなる。だから、自分たちの場合は、相方の小杉さんがどんな細かいボケでも絶対にツッコむという信頼関係を築くことをまず徹底したそう。「自分(吉田さん)がのびのびと自由にボケられるのは、小杉が絶対にフォローしてくれるから」と。

 

私が普段の仕事で思いきってできたときの状況を振り返ると、そこには必ずフォローしてくれる人がいました。思いきってやると言うのは、好き勝手自由にやるという意味ではなく、一番良い方法を真剣に考えること。でも、立場や状況によっては、残念ながらそれができなくなってしまうんです。あるとき、今までとはガラリと雰囲気を変えて撮影したいという要望がありました。しかし撮影当日、依頼主の会社の偉い人が現れ、今までと同じように撮影するよう細かく指示…。そこにいた私も含め、カメラマンやその会社の従業員の方も「雰囲気を変えるんですよね?」とツッコみたくなりましたが、それはできませんでした。理由は、先方の担当者やこちらの責任者がそっぽを向いてしまったから。

 

自分が思いきってできるときは、絶対にフォローしてくれる人がいる。だから、仲間に思いっきりやってほしいときは、自分が絶対にフォローするという姿勢を見せないといけない。個人で責任を背負う意識も大事なことではありますが、誰もが萎縮したまま仕事をする不思議な現場が多いのは、何か起きても大丈夫と思えるような心強い人がすぐ近くにいないからかもしれません。

 

あなたは、どんなときに思いきってできましたか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

  

 

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大人にはできない子供の質問?

 

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 あるイベントでの直接本人に質問できるコーナー。「どんな質問コーナーだったら観てみたい?」と聞かれて、「子供が質問するコーナーだったらおもしろそう♪」だと答えました。自分が普段どんなときに興味を持って観てしまうかを思い返すと、ワイドショーなどで記者が芸能人に聞く質問はどれも面白くなく、子供が質問しているのはついつい観てしまうんです。大人の質問は、相手の立場を考えて、当たり障りのないことや答えが予め用意されているような質問になりがちで、ドキッとさせられることがありません。でも、子供の質問、例えばスポーツ選手に子供が質問するような場では、単純に知りたいことを聞いたりするので、気持ちが伝わり、質問された大人も真剣に答えるので面白いんです。子供も空気は読みますが、大人ほど空気を読みすぎないんですよね。

 

これを聞いたら怒られるだろう…。ここで水を差してはいけない….。そうやって本当に知りたいことを濁して質問するぐらいなら、思い切って聞いた方がいいと思っています。もちろん、大人は礼儀やマナーは守らなくてはなりませんが、そこで遠慮やヨイショは不必要。何より、本気で聞かないと相手も本気で答えてくれません。私が芸能人の囲み取材などをテレビで観ても何も感じないのは、きっと質問者も回答者もどちらも本気じゃないから。そんな気がします。

 

あなたは、自分が好きな有名人にどんな質問をしてほしいと思いますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

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相手がやりやすい方法で?

 

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 知り合いがお店を出したので、開店祝いに花を贈ろう。派手にお祝いしたいなぁ。胡蝶蘭は値段が高いと悩んでいたけど、調べたところ、パチンコ屋の新装開店や「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングで見かける大きな花輪は1~2万円らしい。安いし、目立つし、レンタルなので相手が処分に困ることも無い…。まさに一石三鳥♪

 

…そんな発想にたどり着いたとしても、実際に花輪を贈る人はほとんどいません。理由は、相手に迷惑が掛かるかもしれないから。いくら気持ちだとはいっても、相手が受け取りやすいものを考えて贈ります。そんなふうに普段の生活だったらやっていることなのに、仕事になるとできなくなるから不思議…。例えば、何かのデータを送るとき。相手の環境や使っているソフトなどを考慮して、使いやすいデータ形式で送れば済む話なのに、ポーンと手元にあったデータをそのまま送ったりします。「すいません、送っていただいた画像なんですけど、エクセルに貼り付けられなくて…」。依頼した人も、相手が二度手間にならないように「エクセルで使いたい」と一言足せばいいだけの話です。最近、仲の良い先輩との雑談で、「結局は、思いやりがあるかどうかだよね」という話をしましたが、きっとそういうことが普通にできる人が、いろんな面で結果を出していくのではないかと思っています。

 

あなたは、どんなときに相手の都合で手段を選びますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

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全部並べて比較する?

 

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 先日、ある撮影があり、私はコーディネートを担当させていただきました。持っていった雑貨や小物はダンボール5箱分ほど。カメラマンたちが撮影準備をしている間、私は持ってきた雑貨を全て開けて床に並べました。1つずつきちんと梱包されていたので、また後で梱包するために丁寧にテープを剥がしたり…。時間のかかることですが、できるだけそうやって全てが一目で見える状態をつくるようにしているんです。「後でまた梱包しなくちゃいけないんだから、使うものだけ開ければいいのに…」と、周囲から見たら無駄に思える行動かもしれませんが、私にはそれが必要で…。

 

何かを比較するとき、同時に見ないで比較するケースが多いような気がします。例えば、A4サイズで1枚に1案ずつ印刷されたデザイン案。その束を1枚ずつめくりながら見ていく…。そうすると、見る順番など提案内容以外のことが影響して、同じように比較できなくなります。だから、デザイン案を審査をする人などは、必ず全てをテーブルに並べたり、壁に貼り出して比較するんですよね。平等に比較できるだけでなく、選ぶスピードも早いのも魅力で、「あっちの方が良かったかなぁ…」とAとBを行ったり来たりすることも無くなります。どちらが良いか選ぶのが苦手な人を観察していると、2つを並べて見ていないから選びにくいだけなのかもしれません。

 

あなたは、たくさんの中から1つを選ぶとき、どうやって比較していますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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採用されると良かった点を、ボツになると悪かった点を探す?

 

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 何かをやった後の振り返り反省は、次につながる大事なこと。でも、どんなふうに振り返っているか傾向を見ていると、私に限らず他の人にもある特徴があります。それは、採用されると良かった点を探して、不採用になると悪かった点を探す傾向。採用されたときは、「ここが評価されたんだな♪」と高評価ポイントを探すことが先立って、ダメだったところは後回しに…。逆に不採用のときは、「どこがダメだったのかなぁ…」と採用に至らなかった理由を探してしまい、その時には自分たちの提案の良かったポイントを振り返らなかったりします。

 

どちらもわるいわけではありませんし、嬉しいときは喜んで、悔しいときは反省していいと思っています。でも、そこで採用されたにしろ不採用になったにしろ、その時点ではまだ途中。その後につながる行動をとらない手はありません。だから、採用されたのなら、もっと磨き上げるために何かをやるべきで、不採用なら他の手を考えるのと同時に、不採用案をどうしたら採用されるまでに持っていけるかを考えた方がいい。採用基準が80点だったとしたら、81点で採用された案も79点で不採用になった案も、どちらも未熟な状態です。100点満点なら別ですが、もし合否の結果をただ聞いただけだったら、良い点と悪い点のどちらかではなく、その両方を洗い出してみるべきかもしれません。

 

あなたは、どんなふうに結果を振り返っていますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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調整は0.1mm単位?

 

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 文字を目立たせたいとき。見やすくしたいとき。美しく見せたいとき…。私に場合は、細かいところまでその文字に手を加えるようにしています。文字と文字の間隔を全体的に帰るのではなく、1箇所ずつ微妙に変えたり、線の太さを部分的に変えたり…。テキストとして入力するような場合は別ですが、そこまでやるのはとても重要。たった0.1mmのちがいでも印象はガラリと変わります。当たり前と言えば当たり前ではあるんですが、恥ずかしながら昔はそこまでこだわれませんでした。

 

それが変わったのは、学生時代にあるポスターを同じように作るトレーニングをしたのがきっかけ。文章の部分を同じ字体、同じ大きさの文字で入力してみると、同じようにならなかったんです。「まあいいか♪」とそれを印刷してみると、元のポスターとは文章の読みやすさや美しさに雲泥の差が…。あらためて同じように作ろうとしたときに、元の文章が一文字ずつ調整されていることが分かり、その重要性に気付かされました。0.1mmまでこだわれ!とよく言われていまいちピンとこなかったことに、そこでようやく納得。それから意識が変わったような気がします。たかが0.1mm、されど0.1mm。私はまだまだこだわりきれてないところもありますが、そこにこだわれるかどうかが、デザイナーとして問われるところなのかもしれません。

 

あなたは、何かを作るときに細部までこだわっていますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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中に何かありそうだから気になる?

 

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 子供の頃、学校に設置してある百葉箱の中身が気になってしかたがなかったときがありました。「中で何かが住んでいるに違いない…」「隙間の感じが蜂の家にちょうど良さそう…」「真っ白だから、救命道具が入っているのかな?」「何かの組織の秘密装置が入っているのかも…」。いろんな想像を楽しむために、あえて自分からは調べないようにしていたような気もします。隠されているから想像する楽しみがある。

 

すべてをオープンにした方が良いという考え方もありますが、興味を持ってもらいたいときは、すべて出さないという考えもアリだと思っています。むしろ隠す。ただ、Aという事実を伝えないだけだと、そもそもAの存在自体に相手が気付かないので、隠していることは相手に知ってもらわないと意味がありません。「実はずっと内緒にしていたことがありまして…」と言われてグッと心を掴まれたり、「今日はこの辺りまでで話はやめておきます…」で、その先の話が気になって仕方がなくなったり。何かあるけど今はまだ分からない。そのちょうどいいラインを作れると、相手に興味を持ってもらえるような気がします。煽っておいて中身が期待に添えないと逆効果になってしまいますけどね。

 

あなたは、隠されて気になった経験はありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

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外見はあくまできっかけ?

 

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 オシャレな服を着て元気が出たり、明るい色の服を着て少し明るい気分になったり、洋服ひとつ変えるだけ内面も大きく変わることもあります。だから、外見を変えることには確かに意味がある。でも、カッコよくなりたいからといって、カッコいい服を着てもそうはなりません。品のある人は、品のある服を着ているからそう見えるわけでもない…。だから外見を変えれば、そうなるというのは少しちがいます。『外見はあくまできっかけにすぎない』。

 

店構えがギラギラしているのを見て、「高そうなお店~」と感じるのに似ていて、それはあくまでも「高そう」止まり。「高級なお店だ」と納得するまでには至りません。お店の中の商品を見て、接客を受けて…、内面を知ってはじめてそうなる。それで言うと、カッコいい服を着てるだけの人は「カッコ良さそうな人」なだけです。それを「カッコいい」にできるかどうかは結局、中身次第。外見を変えることの意味を見誤ると、ただただ着飾ってるように見えてしまうかもしれません。外見を変えることでそれに合わせようとする作用が働くので、大概は少しずつ追いついていくものですが、はじめから「外見を変えれば大丈夫!」と考えてしまうと、ちょっと危険だと思ってます。

 

あなたは、外見を変えたことで中身も変化した経験はありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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言わなくていいこと?

 

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 主張したいこと。きちんと伝えなければいけないこと。不利益になってしまうけど伝えた方がいいこと。それを言ったらガッカリさせてしまうこと…。その辺りの区別が苦手な人にたまに出会います。どれも事実。だけど、全て伝える必要はないと思っています。

 

例えばポテトフライについて、数時間前に揚げたものがあと1つ残っていて、今新しいのを揚げているとします。その残り1つはあと30分経ったら廃棄する予定。そんな状況でお客さんが来てポテトフライを注文されたときに、「今すぐ用意できますが、あと10分ほどで新しいポテトフライも揚がります。どちらがよろしいですか?」と聞くのはOKです。でも、「今あるポテトは数時間前に揚げたものなので、10分後に新しいものをお持ちします!」は言わなくていいこと。そのあたりの区別が難しいようで、店長に怒られても「本当のことを言っているのに、何で怒られなきゃいけないの?」と不思議そうな顔をしていたります。これはあるファーストフード店で実際にあったこと。自社の商品をわるく伝える云々ということではなくて、相手を不安にさせてしまうので言わなくていいという判断に至るわけですが、このあたりをどうやって指導するかはとても難しいようです。

 

あなたが、本当のことだけど言って後悔したことは何かありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

  

 

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東京ドームなんて借りられない?

 

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 金額を知らないのに、ただただ高いと思って手をつけないことがあります。もちろんイメージ通り実際の金額も高くて、桁が1つ上がるくらい高いものもありますが、逆に思っているよりも安く手に入れられるものも結構あるんですよね。ちょっと調べてみるだけの簡単なことなのに、イメージだけで敬遠しているのはとても勿体無いこと。私が学生の頃に費用面で不可能だと思っていたことの半分ぐらいは今普通にできていたりします。そのままではなく形を変えて実現できたことも。

 

できるだけお金をかけないような環境にいると、はじめから『お金がかかりそうなこと』を外して考えるクセがついてしまいます。私もそうだったんですごく共感できるんですが、本当にそれは勿体無い。発想が萎縮してしまうからです。どうやってもその通りに実現できなかったとしても、別の方法をとれば実現できることがある。自分が調べた程度では分からないことを、過去にいろんな専門業者さんから教えてもらいました。「えっ?それって〇〇万円はかかるものじゃないんですか?」「いえいえ、〇万円でできますよ♪」。物であれば、購入先や紹介してくれる人、購入する人を変えるだけで大きく変わりますし、購入に固執することなく借りるという手段もあります。どうやってもできないこともありますが、どうにかできることも意外と多いものです。

 

あなたが、実際の金額は知らないけど、高くて手に入れられないと思っているものはありますか?

 

 

 

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その組み合わせで大丈夫?

 

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 1枚のスペースをいくつかの広告主で分けて使うような広告メディア。広告主は、自分が掲載するスペースの隣にどんな会社がくるか選べませんが、作る人は選べます。そんな複数掲載の広告をみると、「並びを調整してあげてもいいのに…」と思ってしまうこともあります。アスレチックの広告の下に病院があったら怪我を連想してしまったり、ビールの広告の隣にスポーツジムがあったら変な葛藤が生まれてしまいます。双方がちがうことについて「コレが一番いい!」と広告の中でうたっていたら、どちらかがウソをついているように感じるかもしれません。

 

自分たちが選べないことについていくら考えても仕方がないんですが、だからこそ作る人たちは考えなければならない。先日、乗車客が少ない時間帯に電車に乗ったとき、窓上広告を差し替える業者さんがいました。普通は順番なんて気にせずにジャンジャン入れ替えていくんですが、そのときの人は一度入れた後に一瞬考えて順番を変更したんです。そのままでは、例に挙げたように隣同士になるとお互いの広告主に不都合になる組み合わせだから。いかに時間をかけずにやるかの仕事でありながら、そこをフォローできるなんて素晴らしいなと感心してしまいました。その広告がどんなに素晴らしいものでも、組み合わせでは全く機能しないこともある。現場で広告を設置してくれる人たちのチカラがないと、意味がないという当たり前のことをあらためて痛感しました。

 

あなたは、組み合わせがわるくて、どちらにも良い印象を持たなかった経験はありますか?

 

 

 

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300円で1週間楽しめる?

 

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 コーディネート撮影で使用する生花を買いに花屋さんに行くと、仕事帰り風の20代の女性が一輪の花を買っていました。自宅に飾るために購入したのだろうと考えはじめたら、300円で1週間も幸せな気分にさせてくれるものってなかなか無いなぁとあらためて花の魅力を感じてしまいました。私も、コーディネート後に不要になった生花を持ち帰っては、その都度家の中に新鮮な風が流れて癒されています。ただ、それが千円ちょっとで購入できるものだと分かっているのに、自宅用に自分で買ったことがほとんどないんですよね。

 

お金の使い方やモノに対する価値観は人それぞれですが、節約!節約!と言いながら、「そこに払うお金は惜しまないの?」とツッコみたくなるようなことがよくあります。例えば、お酒の席で話が弾み、終電を逃してタクシーで帰る…。そのタクシー代で、同じようなお酒の場をあと2~3回設定できるかもしれません。もちろん、別の楽しみに使うことだって♪チェーン系の居酒屋で飲んだ方が安いと思っていても、町の居酒屋さんではるかに安く楽しめたりもします。お金をかけなくても、身近なところに楽しめることはたくさんあるんですが、見落としていることが結構あるような気がします。先日の花屋さんがきっかけで試しに花を買って飾ってみましたが、会話が増えたり、ちょっとした瞬間に肩の力が抜けてリラックスできたりと、魅力を実感しています。

 

あなたが、お金をかけずに楽しんでいることは何かありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

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