デザインのはてな

身近なところでたくさんの発見!

1つダメだと全部ダメ?

 

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 たった1つ、ダメなところを目の当たりにしてしまっただけで、全体的にわるい印象を抱いてしまうことがあります。例えばバーベキュー。スピーカーを持ち込み爆音で音楽をかけ、ゴミを散らかして帰るグループに出会ったことがあれば、バーベキューはマナーの悪い人が多いと思ってしまいます。もちろん逆に良い印象に変わることもあって、スケボー少年達のマナーにあまり良いイメージがありませんでしたが、きちんと決められた場所で楽しんでる少年達をよく見かけるようになって、正直イメージは変わりました。たった1つが全体のイメージを左右する。

 

以前、お店を運営する方から、「どういうところを気をつければ、お客さんに良い印象を持ってもらえますか?」と尋ねられた際、自分の経験を思い出しながら「う~ん、全部ですね…。」と答えたことがあります。商品が飛び抜けて良くても、手厚いサービスがあっても、床の隅っこがホコリだらけだったら、同じような意識で商品を扱っていると感じるかもしれません。体感ですが、10-10-10-10-0 で平均点が8のお店よりも、7-7-7-7-7 で平均点が7のお店の方が圧倒的に売れているイメージ。たった一箇所の手抜きが全体的にイメージを損ねてしまうこともあるので、そこはできるだけ気をつけるようにしているんですが、なかなか難しいもので、個人的には苦い思い出もたくさんあります。

 

あなたは、ダメな所を見てしまってイメージがわるくなったことはありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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言わずして伝える?

 

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 直接的に伝えると、受け手には多かれ少なかれストレスがかかると思っています。「これは○○なんです!」と言われたとしたら、別に求めていない情報の場合はストレスになりますし、その情報を受け入れるかどうか問われているようなところもあるので頭を使う分、疲労を伴います。Aさんはいい人だと伝えたいときに、「Aさんはいい人です」や「この前、Aさんがこんなことをしてね…♪」といった伝え方をされても、素直にAさんがいい人だとは思えなかったりするように、直接的な発信が必ずしもその通りには伝わらない。もしいい人だと素直に思えるとしたら、ふとしたAさんの言動を見て「この人はいい人そうだなぁ」と感じたときのような気がします。

 

受け取る情報と感じる情報には大きな違いがあると思っていて、より深く相手に実感してもらいたいときは、直接的に伝えるよりも感じてもらった方が良かったりします。昔、ある体験をしたとき、その教室の先生が楽しめるポイントを色々と話してくれたことがありました。「こういうところがこの体験の魅力なんです!」。自分で楽しいポイントを探したかった私は、ひねくれた性格なので、教えてもらった楽しみ方以外の楽しみを探してしまいました。自分から取りにいった情報にはストレスがない。もちろん何も伝えずに相手に伝わることはないのですが、直接的に伝えることだけが『伝える』ではないので、口に出さずに伝える方法を色々と知っておくと、本当に響かせたいときに役立つかもしれません。

 

あなたは、口に出さずに伝えたときはありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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誰に注意されたら恥ずかしい?

 

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 突然ですが、自分が歩きスマホをしていたとして、誰から注意されたらすぐにやめて反省するでしょうか。お年寄り?50代のおじさん?同世代の異性?…。私だったら、子供から注意されたら恥ずかしくなって反省するような気がします。逆に同世代だったら、その場でやめたとしても「あなただってやってるでしょ?」と不満を抱くかもしれません。

 

変な質問をしてしまいましたが、注意を促すようなポスター等に、どうして動物やアニメを採用するのか気になっていたんですが、理由の1つは「誰から言われたら恥ずかしいか?」ではないかと思いました。幼い子供は、親に怒られてもやめないのに、仮面ライダーやプリキュアに注意されたらやめたなんていう話も聞いたことがあります。きっと、アニメが好きな人がアニメキャラクターに注意されたら恥ずかしくなるだろうし、誰でも可愛らしい動物に注意されたら恥ずかしくなるはず…。また、特定の人ではなく抽象的な対象だからこそ良いところがあって、どんなトーンで注意されてるかも自分の受け方次第だったり、仮に注意されて憤慨したとしても反発する具体的な相手がいないので、そんなところも理由の1つのような気がします。動物やアニメを採用しているのは、結果を求めたから生まれた表現なのかもしれません。

 

あなたは、誰から注意されたら直そうと思いますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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できるだけ大きく描く?

 

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 デザインの仕事でスケッチをするときに、私の場合は大きく2パターンあります。1つは、メモ帳などにゴチョゴチョと小さく描く。それは、アイデアを広げたいときの描き方で、小さい画ではディテールが分からないので、想像の余白があっていろんな解釈ができるからです。もう1つは、紙いっぱいにできるだけ大きく描く。それは、デザインを考えるときの描き方で、大きいほど細かなところが見えてくるので、粗を見つけやすく詰めなければいけない所がたくさん見つかります。

 

その2パターンが良いわけではありませんが、中途半端な大きさで描くのはあまりオススメしません。理由は、前述のどちらもそのスケッチでは叶わないからです。全体像が何となく分かると想像しろが少なくなってアイデアは広がりづらくなり、細かな点は見えないので何となく良いデザインにまとまってるように見えてしまう…。学生時代、用紙の3分の1ぐらいの大きさで画を描いていたときに「そのスケッチは何で必要なの?」と突っ込まれて以来、「今、どうしてその画を描いているのか?」と自問自答するようになりました。イラストレーターやグラフィックデザイナーはまた意味が変わってきますが、それがプロダクトデザイナーだったら、どことなく綺麗にまとまったスケッチにはほとんど意味がなかったりします。もちろん自分がやりやすい方法が一番ですが、一度立ち止まって今やっている作業の意味を考えてみると、ちがうやり方にしたほうが良いと思えたりするかもしれません。

 

あなたは、絵を描くときにどのぐらいの大きさで描いていますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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ちゃんと知らないけど知ってる?

 

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 Rは「Roof(屋上)」、Bは「Basement(地下)。それを知らなくても、日常生活では不自由しないし、仮に自分がエレベーターのボタンをデザインすることになったら、きっと普通に「R」や「B」を使います。意味を理解していないことは普通なら調べますが、今まで幾度となく目にしている裏付けのある情報なので、そのままでも十分活用できるんです。一方で、曖昧な情報は深く掘り下げていっても、そこに確かな裏付けが無いので、キリがありません。時には間違った知識として頭の中にストックされてしまうこともあります。『「Roof」の頭文字からとったR 』は不確かな情報ですが、『 R=屋上 』は確かな情報。

 

詳しいことは知らないけど、よく知っている有効な情報をきっと私たちはたくさん持っています。でも深く知ろうとして、ネットで調べたことを鵜呑みにしてしまうと、有効な情報が曖昧な情報に変わってしまいます。先ほどの「R」。「Roof top」という話もあれば、屋上ヘリポートなどで使われている「Rescue」のRと混同している話も出てきたりします。どんどん頭がこんがらがってしまいそうですね。ネットなどで調べずに昔から知っている情報は、意外と確かなものだったりします。情報で溢れる時代になっても頭の中に残り続けているということは、それだけ精度が高い情報とも言える。間違ったことや曖昧なことはきっと残り続けません。もしかすると、年齢を重ねた人ほど、長年かけて精査されたとても有効な情報を持っているかもしれません。

 

あなたが、深くは知らないけど知っていることはありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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想定の範囲内?

 

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 自分の伝えた通りに相手にやってほしい場合、伝えたときの状態が10だったら、仕上がりは10以下。要点だけを伝えてあとは相手にまかせる場合、伝えたときの状態が5だったら、仕上がりは1~10の間。それらと比べて、自分の伝えたいことは全て伝えた上で相手に任せるという方法をとると、10が10以上になる可能性が生まれます。それが10を下回る場合ももちろんありますが、前述の2つでは、10以上の仕上がりには決してならない。だから、勝負所や普通に競っても太刀打ちできないようなときには、そういった方法をとるケースもあります。(数字はどれも感覚値なので、あくまでイメージで…)

 

自分がどちらの立場にいても個人的に楽しいと感じる仕事は、どちらも遠慮しないし主張しているように思います。たぶん意識せずにそうなっているのだとは思いますが、最終形を1ミリでも良いモノにしたいとお互いが考えると自然とそうなる…。意見が全く同じということはあり得ないので、細かなことでも議論がないときはどちらか一方が相手の意見をのんでいるので、その部分ではきっと想定以上の変化は起きない。仕事は、時間が制限された中で行うものなので、お互いが全てをぶつけてうまくまとまるなんて綺麗事を言うつもりは決してありませんが、10の仕事を10.1にしようとする姿勢の人に私は惹かれてしまいます。

 

あなたは、最終的にどうなるか分かっていることを楽しめますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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ちがうタイプを混ぜてみる?

 

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 スタッフに刺激を与えて社内を活性化させようと、今までに無かった能力を持つ人や変わった経験のある人など、毛色のちがう人を採用することがあります。それまでいないタイプの人はとても刺激的で、個人的にはそのままでいてほしいと思うんですが、どう言うわけか少しずつ元々いたスタッフと同じようになってしまったり、肌が合わずに離れてしまったりするイメージがあります。それは、受け入れた会社が、自社の社風に合わせようとしてしまうから。直接的に何もしていなくても、空気がそうさせてしまったりもします。いい意味でかき乱すために加わったはずなのに、かき乱すと拒絶されてしまう..。規則を守らなかったりすれば別ですが、そうではない所まで合わせようとするのは不思議で、ちょっとしたトラブルや上手くいかないのは想定の上で採用したはずでは?と思ってしまうこともあります。

 

学生時代には仲良しグループがたくさんありましたが、当時から私が不思議だったのはAグループとBグループが交わらないこと。学校はそれでいいんですが、会社や仕事でも仲良しグループに固執する必要はないし、むしろ交わらないと今の位置からずっと変わらなかったりもします。会議などでも、同じような意見しか出てこない会議はあまり意味がありませんが、考え方や価値観が異なる人が議論すると思いもよらないアイデアに発展したりします。同じような人たちで固まっても、同じようなアイデアしか生まれない。私は人の好き嫌いがはっきりしていて、関わりたくないと思ってしまうことも多々あるので偉そうなことは言えないのですが、それでも、タイプのちがう人と関わった方がプラスの効果があると思っています。

 

あなたは最近、自分と全然ちがうタイプの人と交流していますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

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どれが一番か決められない?

 

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「一番伝えたいことは何?」。幾度となくツッコまれてきた言葉で、消化できるようになるまで私の場合はとても苦労しました。「どれも伝えたいから、一番なんて決められない…」。そのときの私の頭の中は、3つ伝えたいことがあったら 100・0・0 にしなければならない、といった感じ。極端に言うと、一番伝えたいこと以外は伝えられないと考えていました。でも、同じように一番を決めた人の中には、60・30・10 の割合の人もいれば、40・30・20 の割合にする人もいる。ぶっちぎりで一番になるものばかりでは無いと考えたら、そこからとても楽に考えられるようになりました。

 

選ぶのが苦手な人は、AとBのどちらかでAを選んだらBを捨てるという発想になりがち。でも、楽に選ぶ人は少しちがって、Aを選んだけど、別の機会にBを選べばいいという発想だったりします。飲食店でメニューを2択で迷っても、次に来たときにもう一方を注文すればいいだけです。例えば、広告に伝えたいことをトコトン詰め込むようなケースがありますが、それは残念ながら全て伝わらないことが多い。それを、仮に絞り込んで1つにしたら、それは伝わる確率が高くなります。他のことを伝えるのは、その後でも遅くはなかったりします。どうしても伝えたいことが埋もれないためにも、一番を選ぶ練習はしておいた方がいいかもしれません。

 

あなたは、いくつかの中から一番を選ぶのが得意ですか?苦手ですか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

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書いたら量を半分にする?

 

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 このブログの記事は、だいたい1000~1200文字ぐらいザーッと書いてから、半分ぐらいの文字数になるように、まとめたり不要なところをカットしたりしています。はじめから予定の文字数に収める書き方をすると、文章力が低い私はどうしても内容が薄くなってしまうので、倍ぐらい書いてから半分にしているんです。そうすれば、普通に書くよりいくらかは内容が濃くなるから。本当はそれを何度も繰り返して濃度を高めていった方がいいんですが、そこはサラッと書くことにも意味があると思っているので、結局そこまで詰めきれずに内容が薄いままなんですけど…。

 

誰から教えてもらったか忘れてしまいましたが、あるとき「それを半分の文字数で言い換えたら?」と言われたことがあります。すると、そのときの私の文章は、簡単に半分の文字数で表現できることに気づきました。そして、それを繰り返してこれ以上要約できないとなったとき、それが本当に言わなくちゃいけない内容だと。あえてまわりくどい言い方をしたり、余計なことも交えて話したり、同じことを繰り返したりすることも素晴らしい伝え方なので、短く伝えることが全てではありません。でも、短い言葉で伝えるべきときもある。そのときに本当に伝えたいことを伝えきれないのはもったいない。いろんな勉強方法があると思いますが、教えてもらったトレーニングが私にとっては効果的でした。濃い味にするのは、味付けを濃くする方法もありますが、水分を飛ばして濃縮する方法もあるんですよね。

 

あなたが、中身を濃くするとしたら、どんな方法を用いますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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演出にこだわった結果...?

 

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 この前のブログで『演出が足りない?』という記事を描いた数日後、実際に演出を意識したプレゼンテーションを行いました。打ち合わせ場所の環境もあってマンガほどはできませんでしたが、提案の中に出てくるTシャツを実際に作って着たり、模型を作ったり、壁に実際と同じ大きさのポスターを貼ったり…。「Tシャツを着た人が~」と言葉で伝えるよりも、目の前の人が実際に着ていた方がイメージが湧きますし、「このポスターはこのぐらいの大きさで~」よりも、こう見えますと実寸のポスターを見てもらった方が単純に分かりやすいからです。でも一番は、自分たちの熱量を感じてもらいたいから。本気で考えていることを資料や姿勢だけでなく、空間ごと感じてもらいたかったからです。

 

例えば、打ち合わせ。どんなに一生懸命考えてきていても、どんなにその打ち合わせに賭けていたとしても、小さなメモ帳とペン1本だけ持って参加していたら、残念ながらやる気がないと思われてしまいます。それが仮に、山積みの資料を抱えてボイスレコーダーをスタンバイして、質問事項をまとめたメモを手元に置いていたら、やっぱり周囲の見る目は変わるはず。私はそいういったやる気がある感じをあえて見せるような『ポーズ』がどちらかというと嫌いでしたが、それと相手がどう感じるかはまた別。私の外見もやる気がないように見えてしまう問題があったので、あるときからはきちんと示すことを意識するようになりました。以前の記事にも書きましたが、演出は少なからず必要なことだと、先日のプレゼンテーションを終えてあらためて感じました。

 

あなたが、やる気があると感じたのはどんな人でしたか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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微妙なズレは気になる?

 

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 つい先日、イベント会場で絵を飾る作業をしました。ある本に掲載されたイラストの原画という貴重な物にも関わらず、作業にかけられる時間は約10分…。会場の環境も整っておらず、他のスタッフの手を借りることもできない中で、どう美しく飾るかを考えた結果、私が選んだのはバラバラに飾る方法でした。壁を傷つけられない環境で専用の備品も無かったため、テグスで吊るすしか方法が無く、高さの微調整がその時間では不可能だったからです。本来なら同じ高さに額と額の間隔を均等に展示するのが良いのですが、微妙にズレてしまうぐらいなら、あえてズラした方が良いという判断です。

 

プロの目で見なくても、微妙なズレは必ず見る人に違和感を与えます。文章の頭が揃っていない…。写真が曲がっている…。作り手が意図的にやっていたとしても、それを見る人は気持ちわるい。駆け出しの頃、ある広告のデザインで人の目を惹きつけるためにあえて全体を微妙に斜めに曲げた提案をしました。それを見た人の第一声は、「印刷ミス?少し曲がってるよ」。それからというもの、微妙なズレを特に気にしています。もし、自分があまりその部分を気にしていなかったら、ぜひ周囲の人に聞いてみてください。そこで「少しズレてない?」と言われたら、自分の感覚を見直す良いきっかけになります。揃えることが必ずしも正しいわけではありませんが、不快なズレと快適なズレがあるのは確かです。

 

あなたは、微妙にズレていたものが目についたことはありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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文句を言う前に自主プレ?

 

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 実務経験が無い状態ではじめて勤めた会社。デザイナーとして採用してもらいましたが、デザインの仕事をやらせてもらうまでに半年ぐらいかかりました。でも、ごくごく当たり前の話。採用時の面接や作品集を見せられた程度では本人の力量が分からないので、上司や先輩は仕事をふれないんです。信頼関係もありませんしね。私がとった方法は、とにかく自主プレゼンテーションをしまくること。先輩の仕事を盗み見して、勝手に自分も同じテーマでデザインを考えて持って行く。与えられた仕事では無いので業務時間ではできませんし、見てもらえるかも分からないことです。でも、それを繰り返すことで、「じゃあ、次のコレやってみる?」と声をかけてもらいました。

 

デザイナーとして採用されても、デザインの仕事がやらせてもらえないという話をたまに聞きます。大きな会社では、本人の意欲や能力に関わらずそうなってしまうケースもありますが、小さな会社でそうなる場合は本人によるところが大きい。きつい言い方ですが、その仕事ができるようになるための行動が足りてないイメージです。勉強はみんなやっていることだから、それ以上のアクションが必要になる。あんまりこういったことを言うとブラック企業的な話に聞こえてしまうかもしれませんが、待っている人にはなかなか仕事が来ないのは確かです。先日、ある地方のタクシー会社で、運転手さんが観光ガイドをしながらお得に観光名所や食事を楽しめるバスツアーのような貸切プランを立ち上げていました。まさに自主プレ。「利用者が減った」と文句を言ったところで、お客さんが自然に増えるわけではありませんからね。

 

あなたは、仕事に関わらず自分から売り込んだ経験はありますか?

 

 

 

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素晴らしいテクニック?

 

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 専門的に携わっていると、本質を見落としてやすくなってしまう印象があります。「これには〇〇のテクニックが使われていて素晴らしい」と、技術面にばかり着目してしまう。例えば、エンターテイナー。そのショーに難しい技術が使われていたとしても、披露した会場が盛り上がらなければ、その技術はその場では合っていません。逆に、使われていた技術がありきたりのものであったとしても、ショーがものすごく盛り上がったのなら、その技術は素晴らしい。だから、もし技術面を評価するとしてら、難易度ではなく効果で考えるやり方もあると思っています。競技などはまた別ですけどね。

 

デザインを教えてほしいと声をあげる人達も、「難しいテクニックを覚えたい!」が先行していたりします。それは間違いではないんですが、仮に覚えたとしてもきっと使い方が分からない。あくまで私の経験ですが、「こう感じてもらいたい!」「だったらこんな方法があるよ」のやりとりで教えてもらったことが身に付いている感覚があります。覚えるなら、巧い・難しいテクニックよりも、〇〇にピッタリのテクニック。あるとき学生時代の先生が、みんながチヤホヤしていたポスターを例にあげて「この広告ポスターは美しいけど、全然効果が無かったそうですよ」と。そのテクニックは、多くの学生(専門の人たち)を魅了した点では素晴らしいものでしたが、その広告の目的として素晴らしかったかどうか?今でも考えさせられます。

 

あなたは、難しい技術だから魅力的に感じたことはありますか?

 

 

 

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500円でも高い本?5,000円でも安い本?

 

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 滅多に料理をしないなら、たとえ割高でも必要な分だけ材料を買った方が良かったりしますよね。1個だと78円。3個入りが198円で1個当りの価格が66円だとしても、余らせて残りを無駄にしてしまったら、1個を198円で買ったのと同じようなものです。これは費用対効果の分かりやすい例ですが、逆のパターンもあります。極端ですが、100円のボールペンよりも1万円のボールペンの方が費用対効果が高くなることだってある。時給1,000円で働いている人が、仮にそのボールペンを使うことで仕事が2倍はかどるなら、数日で元が取れてそこからは効果が上がる一方になるというわけです。

 

ある会社で、専門誌を定期購読しようという話になりました。1冊ずつ購入するよりはるかに安く、社員のスキルアップに役立つと考えたからです。結果は、届いた雑誌が誰の目を通すことなくストックされていくだけ。費用対効果は0で、1年間で2万円かかったとしたら、その2万円は無駄になってしまったことになります。その後、1人の社員が自分たちの部署で勉強するために専門書を会社で購入してもらえないかと相談しました。本の価格は7,000円。でも、そんな高額な本は買ってあげられないと却下されました。与えられた本よりも、自分たちが求めた本の方が効果が見込めますが、見た目の費用がネックになったからです。かけた費用に対する効果は正確に測れませんし、結果論なのでその費用をかけるべきかの判断は難しいことですが、費用をかけずに効果を上げる方法がベストだという考えに偏ってしまうと、本来の目的は達成しづらくなってしまうかもしれません。

 

あなたは、高額だったけどそれ以上に得たものが大きかった経験はありますか?

 

 

 

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ジャケ買いさせる後ろめたさ?

 

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 「ジャケ買い」。私はときどき中身を確認することなくパッと見た印象で商品を購入してしまいます。本だったら装丁、商品だったらパッケージ、CDだったらジャケット…。手に取ったときのイメージとピッタリのときもあれば、全然違うこともあって、基本的にはどちらの場合も楽しんでいるんですが、唯一ガッカリするときがあります。それは、嘘だったとき。虚偽表示はしてはいけないので文字通りの「嘘」はないのですが、内容とは無関係の表現や過度のデフォルメがあったりすると、「えっ言ってたことと違うけど??」となってしまうんです。缶のコーラを買って、思っていた味のコーラではなかったのは有りですが、中身がサイダーなのは無しといった感じ…。表現は主観によるものなので、それが内容を表していると言えばそれまでですけどね。

 

私は仕事柄、そういった見た目を考えることも多いのですが、これまで不安になることが度々ありました。「商品を手に取ってくれた人を裏切っていないか?」「広告を見て行動を起こしてくれた人を騙していないか?」…。そのときに自問自答するようになったのが、「嘘はないか?」です。そこさえクリアしていれば、自分が考えた表現は受け入れてもらえるはず!と捉えるようになりました。あくまで私の経験の1つですが、自分がやっていることに対して不安になるようなことがあったら、「ここさえ守ればOK」という項目を作ると、自信を持って伝えられるようになるかもしれません。

 

あなたは、自分が不安になったときの対処法を何か持っていますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

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