別の可能性を本気で考える
会議で議論することもなくA案にその場がなびきそうなとき、私はあえて別のB案が良いという意見を投げかけます。会議が長引くので煙たがられますが、本気でプレゼンし続けると、1人くらいはB案もアリかも?なんて思いはじめます。…で、結局はA案に決まることが多いのですが、このB案を本気で検討したことに大きな意味があると思うのです。
知識や経験が増えると、自分の中での正しい•間違い、良い•悪いの判断基準がある程度固まってきてしまいます。自分の正解から軸足を離さずに他を検討しても、答えは変わりません。自分の正解にハマれば満足、ズレたら不満。
私が偏った意見をブログに投げかけている理由は、今自分がやっていることの意味を再認識したり、疑問を持つことで考えを見直すきっかけになればよいと思っているからです。今自分が一番良いと思っているやり方があるなら、何と比べた一番なのでしょう。他のやり方を試したうえでの一番ならよいのですが、試していないのならぜひ試してみてください。結局元々の考えに戻るなら意味がないじゃないか?そう言われることもあるんですけどね。
あなたは『別の可能性を本気で考える』ことについて、どう思いますか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。