デザインのはてな

身近なところでたくさんの発見!

全部採用されるつもりで?

 

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 年に1回、ここ数年毎回参加している唯一のデザインコンテストがあります。参加している理由は、1つのテーマで作られたデザインを一度にたくさん見ることができるから。一般的なコンテストは、1~5点程度が「優秀賞」などの形で公表されますが、参加しているコンテストは、一度に100点以上の作品が公表されます。自分が参加することで、他の参加者の視点や表現からたくさんの刺激を受けるんです。

 

応募できる数は、3点まで。昨年までは「3つのうち1つでも選ばれたらいいかな」という気持ちで3点応募していました。結果は、1~2点が入選。選ばれなかった作品について悔しい気持ちもなく、それでも満足していたんですが、今年はなぜかその考え方にとても違和感が…。「落選してもいいつもりで応募しているのか?」と自問自答したんです。で、それはおかしいと思い、今年は3つすべて選ばれるつもりで応募しました。結果は、3つとも入選!「よしっ♪」普段の仕事でのデザイン提案も、本当は「どれもが選ばれるべき提案だ!」ぐらいの気持ちでやらなくてはいけません。「この中でどれか選んでくれたら…」それなら、自信のあるものだけを出すべき。1つでも選ばれると嬉しい気持ちでいっぱいになってしまいますが、他がどうして選ばれなかったのか?を考える必要も。相手が迷って選べないぐらいでないと、数を出す必要がないのかもしれません。

 

 

あなたは、全部採用されるつもりで提案していますか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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○○さんっぽいデザイン?

 

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「あ~、○○さんっぽいデザインだね。」「これデザインしたの○○さんでしょ?」つい最近まで、自分のデザインを見た人からそんなふうに言われることが多かったんですが、ここ2~3年でそれがほとんど無くなりました。「(見た目が)○○さんっぽいデザイン」は、言い換えればその人が好きなデザイン。ポジティブに捉えれば個性が出ているとも言えますが、その人の色を出したがっているとも考えられます。誰かのためにデザインをする場合、それは時にブレたものを生み出してしまう…。だから、最近そう言われなくなったのは、「自分の好み」よりも「あるべき姿」を優先して考えられるようになったからではないかと。まだまだ私は足りていませんけが…。

 

例えばコンビニには、一流デザイナーが手がけた商品パッケージがたくさん並んでいます。私は同じ世界で仕事をしているので有名なデザイナーさんはたくさん知っていますが、それでもコンビニの商品を見て「○○さんっぽいデザインだな~」と思ったことは一度もありません。たぶんそれは、「あるべき姿」を考えてデザインしているから。実際、手掛けたデザインが後に評価されることはあっても、○○さんっぽいから評価されることはありません。自分の個性を表現することも大切ですが、誰かのためにデザインするときは、「自分の好み」を外したほうがよいかもしれません。

 

 

あなたは、自分がやったものについて「○○さんっぽいね」と言われたことがありますか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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最強の武器を出さない?

 

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 今までいろんなことを経験してきましたが、まだまだ知らないこともたくさんあります。ずっと前から経験したいことが販売接客。デザインをする上で、直にお客さんと接する経験は必要不可欠だと思っていますが、一度も経験がありません。だから、それを経験した人の意見はとても貴重で、未経験者が持っている情報や知識程度では到底太刀打ちできないものです。でもどういうわけか、それを出さない人がいるのがとても不思議で…。アイデアを出し合ったりする場で、他の参加者の立場になって考えるんです。それは大事なことですが、もったいない。

 

以前の職場で、販売接客部門からデザイン部門に異動してきた人がいました。その人は販売接客を10年以上やっていたプロ。とても勉強熱心な人で、企画の考え方やデザインの本をたくさん読んでいました。そして、アイデア会議の場…。その人の考えてきたアイデアはとても良いものでしたが、どれも元々デザイン部署にいる先輩たちと同じ切り口のアイデアでした。同じように考えようと、その人しか持っていない販売接客で得たアイデアの種、いわば最強の武器を引っ込めてしまって…。私はずっと、同じ環境にはいない販売経験者に意見を求め、その都度刺激的な指摘をもらい毎回助かっています。自分の経験は、どんな場でも役に立つ。一流デザイナーだって、自分の商品が売れない理由が分からず困っているぐらいですから、変に合わせずに経験者としてドンドン意見を出したほうがよいかもしれません。

 

 

あなたは、自分の経験を活かしていますか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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90分は、1時間半ではない?

 

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「都心まで90分!」。1時間半をあえて90分。広告などによく使われている表現です。『○時間』というヘビーな単位ではなく、『○分』という単位で語れる近さだとアピールするもの。確かにこの場合は、1時間半と言うよりも近く感じる人もいるかもしれません。かと言って、2時間半を150分と言うのはまたちがう印象。「150分ってことは○時間だ?」と、計算するストレスを与えたり、何かを誤摩化しているようにも見えます。単純に時間を長く感じることも…。どれも主観ですが、皆さんの中にもプラスに働いている表現とマイナスに働いている表現がありますよね。

 

10万円と、100,000円。まる1日と、24時間。どちらを魅力的に感じるかは人それぞれ。だからこそ、こういった言い換えをあえて使うときには注意が必要だと思っています。先日「0.5時間」という表現を見かけましたが、正直ピンときませんでした。言い換え技は、扱い方を間違えると逆効果。できるだけ多くの人、特にターゲットに近い人に確認してみるのがオススメです。もし身近にそういった人がいなければ、同じターゲットに対して他がどう表現しているかを調べてみるとよいかもしれません。

 

 

あなたは、片道2kmと、往復4km。どちらのハイキングコースを歩きたいと思いますか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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毎回ちがうオープニング?

 

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 妻に付き合って録画した深夜のアニメをたまに観ることがあります。私は晩酌がメインで流して観ているんですが、この前、おもしろい発見がありました。オープニングとエンディングの映像が毎回ちがうんです。アニメが好きな人からすれば当たり前かもしれませんが、子供の頃に観ていたアニメの記憶しかない私にとっては驚きで、同時にすばらしいやり方だと思いました。毎回新鮮な印象で、見逃したくない気持ちにさせられるからです。

 

アニメのオープニングはとても重要視されているようで、人気アーティストの楽曲を使うのはもちろん、その完成度と毎回のアレンジ有り無しが視聴率に大きく影響するそうです。たとえほんの少しでも必ず変える。たしかにそんなオープニングなら観たくなります。いくらお金がかかっているとはいえ、アニメ製作は大変な労力が必要。それに比べたら、ホームページやショーウィンドウなどの見え方を頻繁に変えることなんて、それほど難しいことではないのかも…。毎回新鮮な印象を持ってもらいたい!と言いながら、更新や変更などの作業を億劫に感じているのが恥ずかしくなってしまいました。世界最先端の日本のアニメは、学ぶところがたくさんありそうです。

 

 

あなたが、毎回新鮮な印象を感じるものは何かありますか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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ガチャピンは常にガチャピン?

 

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 だいぶ前に、有名なゆるキャラに出会いました。スーパーのイベントに来ていたのでちょっと覗いていこうと近づくと、ちょうど終了。集まっていた人が散っていくところにしばらくいると、見送りを終えたそのゆるキャラのスイッチがOFFになる瞬間を見てしまいました。弾むように歩いていたのに、急にスタスタと控え室へ…。

 

その数ヶ月後に、生のガチャピンに会いました。子供の頃から知っている超有名人(有名恐竜?)に、いい歳をして大興奮。当時私は、そのショッピングセンターに入っているお店で働いていたのでバックヤードも出入りしていたのですが、イベントを終えて移動するガチャピンがバックヤードに入っても変わらずガチャピンだったのをみて感動したのを覚えています。不動の人気も納得!

 

どんなときも常に気を張っているのは難しいことですし、大事な時間さえ気を張っていればそれでよいと思います。でも、それ以外の時間も同じように見られている。そこで、冷めてしまったり台無しになってしまうこともあります。私はどちらかと言えば前者のゆるキャラと同じ。ガチャピンのような姿勢で何事も取り組めるようになりたいところです。

 

 

あなたは、スイッチがOFFになる瞬間をみて冷めてしまったことはありますか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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クリエイティブな職種?

 

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 クリエイティブ。何だかカッコいい響きですよね。クリエイティブな仕事と聞けば、オシャレなオフィスで自由にのびのびと働いている人を思い浮かべる人もきっと多いはず。でも残念ながら、クリエイティブな業種というものはありません。どんな仕事もクリエイティブにできるものだからです。強いて言うなら、クリエイティブに仕事ができる人たちがいる環境は該当するかもしれません。

 

以前仕事で関わった経理担当のある人は、自分の仕事をどんどん効率化していき、時には数字の面から伺える改善案や情報を積極的に他部署に提供していました。入社したばかりでまだ雑用が多かったある人は、資料の内容によってホッチキスの留め方を変え、持ち帰るような資料の場合は、裏の針の先の部分を紙テープで覆っていました。どちらも一般的にクリエイティブと呼ばれる仕事内容でありませんが、当時の自分よりもよっぽどクリエイティブな仕事をしていると感じました。私も、デザイナーという名前で何かを勘違いして、デザインしているつもりになっていたことがあります。今も怪しい部分はありますが、本当はデザインするからデザイナー。自分の肩書きや仕事にカッコ良さげな名前が付いている人は、本当にその肩書きどおりのことができているか1年の節目に見直してみるとよいかもしれません。

 

 

あなたは、カッコ良さげな言葉に惑わされた経験はありますか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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はじめまして。これ買って?

 

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 はじめて会った人に、「コレ、買ってもらえませんか?この商品の魅力は…」と、いきなり話かけられたらどう感じますか?自分から会いに行ったとしても、それで「はい、買います。」とはなかなかなりません。会うのが2回目なら?3回目なら?よく知っている人なら?有名人なら?…。それでも難しいかもしれません。「はじめまして。私はこういう者です。こんな商品を作ってるんですが、よかったら見てもらえませんか?」それなら、私は見てしまいますけど…。

 

不自然なコミュニケーションかどうかは、自分の感覚でそれほど大きく間違えることはたぶんありません。でも、どういうわけか、立場が変わるとそれを不自然だと感じなくなってしまいます。相手を都合のいい人に変えてしまうからです。ふらっと訪れた人も、買う予定が全くない人も、『自分たちに好意を持っていて商品を買いに来た人』に変えてしまう。そういったコミュニケーションで成り立っている商売があるから、違和感を持たない人が多いのかもしれませんが、普通に考えたらちょっとおかしい。久しぶりにネットで買い物をしようとお店を回ってみましたが、せっかく素晴らしい商品を販売しているのに、もったいないな~と思ってしまうお客さんへのアプローチが結構ありました。

 

 

あなたは、不自然だと感じたコミュニケーションはありますか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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短くするほど難しい?

 

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 短い文章で多くの情報や想いを伝えるのは難しいですよね。素晴らしい俳句や短歌、広告のキャッチコピーや商品名が世の中にはたくさんあるので、「私たちも♪」と同じことをやりたくなってしまいます。ただ、同じような雰囲気にはなっても、伝わらないことがしばしば…。もちろん能力の個人差はありますが、私が見てきた伝わらない短い文章は、どれも伝えたい情報が多過ぎる特徴があります。それを抜群の言葉のチョイスで伝える力のある人もいますが、普通の人にはちょっとハードルが高い。

 

目的は伝えること。長くなっても、伝わらないよりはきちんと伝わったほうがいいですよね。仮に出来の良い短い文章になったとしても、受け手の読解力や知識量によって、過小評価、過大評価になって誤解を生む可能性も…。「シンプルに短い文章で伝える」「重複する表現を避ける」「誰でも分かる言葉で」など、良い文章にするためのアドバイスはたくさんありますが、それらを反映させることにばかり意識が向いてしまうと、結局何も伝わらない文章になってしまうような気がします。もちろん、試みることは大事ですけどね。私自身、短くて伝わる文章が書けるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。

 

 

あなたは、何を伝えたいのか分からない文章に出会ったことがありますか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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みんなどこかしらおかしい?

 

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 映画『君の名は。』が大ヒット。まだその映画は観ていませんが、深海誠監督の過去の作品を見てみようと、レンタルビデオ店で『言の葉の庭』という作品を借りて観ました。とてもいい作品で、制作意図などを語る特典映像もあったので、自分の仕事にもいい刺激になりました。その映画の中で、特に印象に残った台詞。「人間なんて、みんなどこかおかしい…」。どうしてその台詞が気になったか後で考えてみたところ、私は人をどこか型にはめてしまう癖があるのではないかと。

 

私は、誰かと遊ぶにしても、一緒に仕事をするにしても、あまり知らない人が持っているおかしな所を素直に受け入れられていないような気がします。極端に言うと「普通はこうでしょ」に近い感覚。表には出していなくても、自分の中の型にはまらない部分を、おかしなところとして拒絶しているところがあるのかもしれません。でも、おかしなところがあって当たり前。妻からはよく変人と言われますが、そういう意味で言ったら私なんて人よりよっぽどおかしい。他人のことをとやかく言えるような普通な人ではないんです。「人間なんて、みんなどこかおかしい…」。そう意識したら、どこか窮屈に感じていた世界が広がるような気がしました。

 

 

あなたは、どこもおかしくない人に出会ったことがありますか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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都合のわるいことを探す?

 

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「このアイデア、完璧!」いいアイデアが出るとテンションが上がります。で、そのアイデアに厚みを持たせようと、「○○な場合も使える!」「△△の人にとっても便利!」などと、そのアイデアありきの情報を加えていく…。でもそれは、都合のいい検討。私もたまにそうなってしまうことがありますが、それはそのアイデアがすごく見えるように着飾っているに過ぎません。検討ではないんです。

 

私は自分のアイデアをプレゼンした後、必ずダメな所を言ってもらうようにしています。はじめた頃は、自分のアイデアに容赦なく浴びせられるツッコミに凹んでいましたが、そのツッコミを考慮した新たなアイデアは、はじめのそれとは比べ物にならないほど良くなるので、今では常にやるようになって…。自分では気付けなかった点が浮き彫りになると、自分自身の考える力も磨かれるので、とても気に入っています。相手が気に入っていても私が求めるので、不思議がられることも多々ありますが、自分にとって都合のわるい意見は、とってもいい刺激。否定的な意見を受け入れるのは大変なところもありますが、それが分かるだけでも儲けものです。

 

 

あなたが、都合のわるいことで検討していますか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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カレーは家で作れる?

 

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 飲食店の経営でとりわけ難しいのが、カレー屋さんだそうです。カレーは家で簡単に作ることができる料理。自然とハードルが上がり、よっぽど美味しいか、あまり料理をしない単身者の胃袋をつかまない限り成功は難しいそうです。皆さんは、質は抜きにして、自分でもできることをお金を払って誰かに頼んだことはありますか?私は20代の頃、それができませんでした。当然、カレー屋さんにもほとんど行ったことが無く、自分でできることは自分でやるのが染み付いていました。ただ、外で飛びきり美味しいカレーを食べたとき、「自分でも作れるけど、プロの味はまた別モノだ」と、当たり前のことにビックリしたのを覚えています。

 

私はデザインの仕事をしていますが、最近では、気軽にグラフィックソフトを使える環境になり、誰でも簡単にデザインができるようになりました。自分でデザインを作って、ネット印刷に注文するのが普通になりつつある世の中です。カレー屋さんと同じ。一部では、「自分たちの仕事が無くなる…」とそれを危惧する声もありますが、私の周囲は真逆。「よしっ!腕の見せどころだな」。プロとしての自覚がより一層強くなっています。カレー屋さんが難しいと言われるのは、きっと自分でできることはわざわざ人に頼まない人が多いから。でも、だからこそカレー屋さんで勝負したいと思ってしまうんですよね…。

 

 

あなたは、自分でできることを人に頼むときは、どんなときですか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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おやつは300円まで?

 

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 私はいい歳になりましたが、今でもほとんど毎日お菓子を食べています。お菓子だけを扱っているお店にたまに行っては、大量にお菓子を買いだめ。そのときの選び方は、「お菓子ぐらいの出費なら♪」と、選別は一切しません。「腐るものじゃないし、あれば食べるから…」次から次へとカゴに投入。小学生の頃は遠足のおやつは300円までと決められ、300円以内で最高の組み合わせになるように厳選してお菓子を選んでいたなぁと懐かしく思いました。

 

縛りが無いと、いくらでも選んでしまいます。仕事で、アイデアを持ち寄ろう!となると、厳選した数案を持ってくる人もいれば、考えた分だけ全部持ってくる人もいる。1つずつじっくり検討する時間があれば問題ありませんが、限られた時間の中で大勢が発表して検討するとしたら、前者のほうがいいですよね。プレゼンを聞く相手も、何案も続けて説明されたら、1案目の内容を忘れてしまいます。できる限りたくさん用意したほうがいい場合はもちろんありますが、絞ったほうがいい場合もある。子供の頃は、大人が縛りを作ってくれましたが、大人になると自分で縛りを作らないといけないのかもしれません。

 

 

あなたは、自分で縛りを作って選んでいますか?

 

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隠しちゃダメ?

 

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 工事現場を囲ったパネルの壁。ある現場で、その囲いを変更することになりました。一部分を透明なパネルに変更するよう自治体を通して地域住民から要望が出されたからです。表向きな理由は、「交差点にある現場のため、少しでも向こう側が見えるように。」というものでしたが、実際は中が見えないから。隠しているわけではなのでしょうが、中で何をやっているか分からないのを不安に感じる人がいたのかもしれません。

 

隠しているわけではなく、あえて表に出すほどのことでもないから…とその程度にこちらが考えていても、外側から見たら隠しているのと同じになってしまうことがあります。例えばお店なら、お客さんに落ち着いた空間で食事を楽しんでもらおうと、お店の入り口から中が見えないようにしていても、敷居を高くしていると捉える人もいますよね。いろんな意見があって当たり前なので、何でもオープンにすればいいわけでも、見せないほうがいいわけでもありませんが、伝えたい相手にこちらが意図しているところと真逆で伝わっているとしたら、それはすぐにでも改善しなければならないことかもしれません。

 

 

あなたは、自分の意図しているところをちがう捉え方をされた経験はありますか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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いくらで買いたい?

 

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 他の方達がどうしているかは分かりませんが、私がデザインの仕事で対価をいただくときは、そのデザインにいくらの価値を見いだしてもらえるかが基準になっています。極端な話、何日もかけて考えたデザインであっても、相手にとって価値のないものであれば0だし、逆に時間をかけていないデザインであっても、相手に価値があると感じてもらえれば対価をいただける。自分が2万円で請けたいと思っていても、相手が1万円の価値しか見いだせなければそれは1万円。

 

以前、商品の価格を決める機会があったとき、私と相手に考え方のズレがあったことがあります。「これを作るとなると原価が1万円ぐらいだから、1万5千円で販売しよう。」「平均的な所得の人たちは、この商品には出せて1万円ぐらいですよ。」そんなやりとり。1万円で買いたい人がいるなら、1万円で利益が出るような作り方を考えればいいだけ、と考えていました。売れない売れないと嘆いている商品をみると、消費者の買いたい価格から大きく外れていたりします。売りたい価格は、売りたい価格。買いたい価格とズレていても買ってくれてるとしたら、その価値を提供できているか、仕方がないと無理をさせているか…。相手の都合に合わせてばかりいたら仕事として成立しないのは分かっていますが、合わせることも時には必要だと思っています。

 

 

あなたは、お昼のお弁当はいくらぐらいで買いたいですか?

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

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