『感動』か『感心』か?
近頃の映画やアニメ、小説は実によく出来ていると思います。いくつもの伏線がはられていて、最後には全てがつながったり、ターゲットにウケるように魅力がうまく詰め込まれてたりします。私は、そんな作品を観ると感動よりも、感心してしまうんです。心が汚れていると言われればそれまでですが、良く出来すぎているものって人の心を打ちにくいように感じるんです。
例えば、お笑い芸人さんの大喜利。お題に対して絶妙な加減でハズしたり、周囲の流れや空気を読んで切り口を変えたりする頭の回転が早い芸人さんの回答って「うまいな~」と感心してしまいます。一方で、突拍子もない回答や独特の個性が光る回答はスベることも多いですが、爆発的な笑いを生むことがあります。「○○とかけまして…」なぞかけなんかは、感心するケースが多いですよね。「うまいっ!」って。
『感動』と『感心』はどこにちがいがあるのでしょうか?簡単に答えが出せるような話ではありませんし、答えがあるのかも分かりませんが、私が最近感じたものがひとつ。それは、相手を意識して作っているかどうかです。相手に共感してもらいたい、感動してもらいたいと意図的に出したものは受け入れられやすい。相手の経験や想いや理想と重なる部分があるからです。逆に自分の中に無いものが飛び込んでくると、良い意味でもわるい意味でも心が揺さぶられます。自分を意識して作られたものではないからです。美しい自然を生で見て感動するのと、美しいイルミネーションを見て感心する、といった感じでしょうか?非常に曖昧な気付きで『感動』がよくて『感心』がダメなんて全く思っていませんが、感動してもらいたいと思い相手のことを考えてデザインをすることが、ときに矛盾しているような気持ちになることがあります。
あなたが『感動』したことはどんなことですか?
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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。