デザインのはてな

身近なところでたくさんの発見!

ビールの味は、頑張った味?

 

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 ビールは美味しい。…でも、金曜日の仕事終わりに飲むビールと平日の真昼間に飲むビールは、微妙に味がちがいます。夏の太陽の下で飲むビールと、冬にこたつに入って飲むビールも。ちょっと働いていなかった時期に、ビールを飲んでも美味しいと感じないこともありました。ビールは大好き。それなのに、美味しくない気がする。正確には、前に飲んでいたときよりも美味しくないんです。気のせいか、頑張った量に比例して美味しく感じるような…。

 

消費者の行動や利用環境のちがいで、味に限らず、そのモノの効果や満足度が変わることってありますよね。でも、満足できる結果が得られたとき、それらを外して『うまくいった理由』を考えてしまうことがあります。「このビールを美味しいと感じる理由は、製法が〇〇で麦芽が△△で…」。それは正しい理由なんですが、それが全てではないはず。「このビールは、こういうシチュエーションで飲む機会が多いから、苦さを抑えた点が…」なんて理由もあっていい。本当の理由を捉えるのはとても難しいことですが、そのモノだけを見ていると狭い範囲の理由に留まってしまうので、次にまた良い結果を出せなくなってしまいます。キャンプで作ったカレーは美味しいけれど、みんなで頑張って作るから美味しくなるような気がします。

 

 

あなたは、同じモノなのに違いを感じた経験はありますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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合わせればいいだけ?

 

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 自慢でも何でもありませんが、他人と空間を共有しているときに、空調(室内の温度)に注文をつけたことがありません。暑かったら上着を脱げばいいし、寒かったら着ればいいからです。暑かったり寒かったりはするんですが、それは自分がそうなだけかもしれないと思っていて、自分に合わせて変えたら、それまで快適だった人が心地よくなくなることもあるだろうなと。風邪気味で体調がわるい人がいたら、周りが少し暑いのを我慢すればいいだけの話ですから。

 

優先することがあれば変える必要はありますが、優先すべきことがないのなら、変えることで歪みが生まれるかもしれませんよね。自分にとってはちょっとした変更でも、誰かにとっては大きな変更になることだってあります。例えば、お店はこの時期クーラーを効かせています。中で働いている人はきっと寒いぐらい。でも、暑い中歩いてきたお客さんにとっては心地いい温度です。変えることに躊躇したり慎重になる必要はありませんが、優先すべきことは何か?を考えて変えないと、自分が心地いいだけになっていることがあるので気をつけたいところです。

 

 

あなたが、周りに合わせていることは何ですか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓ 

 

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些細なこともフィードバック?

 

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「作ってもらったあの作品。この間、見に来た人が惚れ込んじゃってね~。学生さんだったんだけど、必ず買うのでバイト代入るまで取って置いてください!って言われて、本当に月末にお金持って買いに来てくれたんだよ♪自分で作った作品じゃないけど、あんなに嬉しい気分になったのは久しぶりだね~」。たまたま入った陶芸品を販売しているお店の軒先きで、店主さんと作った陶芸家(と思われる)が、そんな話をしていました。

 

 何かをやった後、どんな反応だったのか?どんな結果だったのか?どんなことが起きたか?など、ちょっとしたことでもフィードバックすることが大切だと思っています。でも、面倒くさがって自分から伝えなかったり、聞いても返ってこなかったりする。良かったことに限らず、良くない結果になったとしてもそれを伝えないと、一方通行の関係になってしまうんです。仕事でも、入り口だけ密にコミュニケーションをとって、ことが済んだらさっぱり連絡しないなんてことを繰り返していると、ただお金のやり取りをするだけになってしまうので、そうならないように気をつけたいと思いました。

 

 

あなたは、何かをやってもらった後、ちゃんとフィードバックをしていますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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レベル90のおじいちゃん?

 

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 随分前に聞いたあるラジオ番組の中で、『若者が年上の人を敬うようになるアイデア』をリスナーに募集していました。お笑い芸人の方がパーソナリティーを務めていたので、面白いアイデアばかりでしたが、その中でキラリと光るアイデアが…。それは「年齢をレベルに言い換える」です。「あのおじいちゃん、レベル90になったんだって」「マジで!? 俺はまだレベル21だよ。」経験を重ねるほど強くなっていくゲームの世界にうまく例えているのも秀逸ですが、若者も共感できる身近なことに置き換えている点がすばらしいな~と、ラジオを聞いていて関心してしまいました。

 

でも仮に、このアイデアを会議やディスカッションの場で出したとしたら、「何をふざけてるんだ!」とピシャリと遮られます。本当はこういうアイデアを出せる空気がとても大事で、直接的に採用できるものではなかったとしても、『若者の身近なことに置き換える』『たくさん経験を積んでいる点にフォーカスする』など、他のアイデアに発展するきっかけになるもの。マジメな意見や現実的な意見を出そうと萎縮するぐらいなら、何でも言ってみた方がいい。私はよくふざけた意見を出しますが、たまにシラけてしまうんですよね。「マジメに考えてるんだけどなぁ…」。

 

 

あなたは、ふざけたアイデアを出していますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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あるモノでつくる?

 

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 幼い頃、よくLEGOブロックで遊んでいました。ただ、決まったモノを作ることはほどんどなく、ヘンテコな街や乗り物を作っていたんですが、そのときの経験がかなり今の仕事のやり方に影響しています。誕生日に買ってもらうぐらいだったので、パーツは偏っていたり不揃いだったり…。手元にあるパーツをやりくりして、無いモノは別の何かで代用していました。揃っていないのが当たり前。今思えば、別の何かで代用することをそこで自然に学んだような気がします。

 

デザインの仕事をはじめてからも同じような感じで、そりゃ良い道具が揃っていて最新のパソコンに最新のソフトが揃っていれば快適ですが、別に揃ってないからといって仕事が全くできないわけではないんですよね。最低限必要なものさえあれば、足りないところは別の何かで補うことができる。予算が少ない中でどうにか実現するような仕事も多かったので、続けているうちにどんな状況でも対応できる力が少しは身についたように思います。何でも揃っているのが当たり前になってしまうと揃っていないときに困ってしまう。たまには何かを制限して、別の方法で対応してみるのも面白いかもしれません。

 

 

あなたは、何かが足りないとき、別の何かで対応した経験はありますか?

 

 

余談ですが、10年以上前、日本人で初めてのLEGOデザイナー募集!という求人があったので迷わず応募しましたが、二次試験で落ちました。ちなみに二次試験の内容は、「赤いバケツ」という基本パーツが入ったセットを配られて「さぁ好きなものを作ってください!」。めちゃくちゃ楽しかったです。

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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大げさなカメラは使わない?

 

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 あるテレビ番組の撮影に立ち会った人から聞いた話ですが、その番組ではあえて小ぶりなカメラで撮影するそうです。ドキュメント番組ということもあって、できるだけ自然な表情を引き出したい。だから、カメラの存在が気にならないようにするというのです。確かに、でっかいカメラを担いていたら、どうしたって気になりますよね。映像を撮られた経験はなくても、写真なら誰しも経験があるはず。卒業アルバムや免許の写真がこわばっているのは、「撮影しますよ!」という圧力があるからだったりします。写真館のような場所で撮影するなら尚のこと。

 

そう考えると、スマホのカメラ機能がどんどん進化していくのも、またちがった捉え方ができます。わざわざデジカメを携帯しなくてもスマホで気軽に撮影できるから受け入れられていると思っていましたが、もしかすると、気軽なのは『撮影する人』ではなくて『撮影される人』なのかも?。一眼レフカメラを構えられるより、スマホでパシャっとやられる方がまだ気が楽です。この感覚は撮影に限らずとても大事なことで、良かれと思ってやっていることで相手を緊張させたり萎縮させてしまっているケースも時にあります。意図的に緊張感を与えるようなケースは別として、自分のやっていることで相手に余計なプレッシャーを与えていないか?を考えてみるのもアリかもしれません。

 

 

あなたは、何がきっかけでプレッシャーを感じましたか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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傷がつきはじめたら気にならない?

 

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 私は子供の頃からサッカーをやっているんですが、新しいシューズをおろすと必ずみんなから踏まれるというお決まりの儀式がありました。それは、ただの嫌がらせではなく、一度汚れてしまえば気にせずに使えるという理由からきたものです。「買ったばかりだから汚さないように使おう…」なんて思っていたら、思い切ったプレーができない。確かに、しばらくの間は「汚さないように、汚さないように♪」と気をつけながら大事に使うんですが、いざ汚れはじめると気にならなくなってしまったりします。もちろん、ずっとキレイに使っている人もいるので、みんながみんなそうというわけではないんですけどね。

 

少しでも汚れはじめると、気にならなくなってしまう。それは、いい意味でもわるい意味でもいろいろな物事に当てはまるような気がします。例えば、ゴミひとつ落ちていない歩道でも、誰かがゴミを捨てはじめたら、あっという間にゴミだらけになったり。何かで一度手を抜くことを覚えてしまったら、やっぱり二度目、三度目と続いてしまいます。だから、何かをキレイに保つためには、少しも汚れていない状態にしないとダメなのかもしれません。中途半端にキレイにしても、たぶんまたすぐに汚れてしまう。一度汚れはじめたモノを元に戻すのはとても大変なことで、それを実践している事例を見るたびにただただ感心してしまいます。

 

 

あなたが、汚れても気にならなくなったモノはありますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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カラダが資本?

 

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 歳をとったなんて思いたくはないんですが、やっぱり若い頃と同じように無理ができなくなってきていて、ちょっと気を抜くと風邪を引いたりしてしまうので、体調管理には十二分に気をつけています。デザインと言っても私の場合は、スケッチを描く手はもちろん、物を運んで組み立てたり現場の採寸をしたりと、意外とカラダを使うことが多いんですよね。プロダクトのデザインやインテリアコーディネートの仕事が続くと、どこかしら痛くなっています。

 

はじめてデザインの会社に面接に言ったときに、最初に聞かれたのは、「君、カラダは丈夫?」でした。冗談半分で「デザイナーに必要なのは体力」なんて言いますが、ハードワークをするという意味ではなく、やっぱりカラダのコンディションが常に整っていないと良いデザインはできないんですよね。自分の経験に照らし合わせても、カラダの調子がいいときはやっぱりデザインに力があるような気がします。道具の手入れも大事なことですが、一番の道具はカラダなので、たまにはお手入れをしてみてはいかがでしょうか。

 

 

あなたは、カラダのコンディションを良い状態で保っていますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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禁止のシワ寄せ?

 

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 自宅のすぐ近くには大きな川があって、たまに河川敷に散歩に行きます。土日には橋の下で若者がドンチャン騒ぎをしているんですが、あるタイミングからその数がドッと増えました。1回目は、川向こうの地域がバーベキューを禁止したとき。2回目は、2つ向こうの橋付近でバーベキューを有料化したときです。禁止エリアが増えるにしたがって、唯一無料でバーベキューが黙認されている自宅近くの河川敷に集中してしまったというわけです。

 

禁止されたエリアに行くと、ゴミも無く、穏やかで過ごしやすい快適な環境。もし自分がここに住んでいたら、禁止してくれた良かったと感じているかもしれないなぁ…なんて思います。逆の立場にいたら分からない。禁止するということは、それまでそこで満たされていた人が、別の何かで満たそうとするということでもあります。その『別の何か』を用意しないまま禁止だけしても、「他ではやってもいいよ」と言っているにほぼ等しい。地域の禁煙エリアをギリギリ超えた辺りに、タバコの吸い殻が山のようになっていたりすると、考えさせられるものがあります。

 

 

あなたが、何かを禁止されたときは、どんな行動の変化がありましたか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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知らないことは調べる?

 

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 知っていることは調べない…。特に何回も経験していることや常に関わっていることとなると、調べることが重要だと頭では分かっていても、なかなか行動できないものです。私もその1人ですが、そんな人にオススメな方法として教えてもらったのは、『知らないことに取り組む』です。自分の専門外の分野だったらイヤでも調べるので、自然に新しい知識や経験が身に付く。当たり前の話ではありますが、無縁の業界について調べるのは結構大変で、頭を使う作業なので良い刺激になります。

 

知らないことに取り組むメリットは他にもたくさん合って、定説や事情などに捉われずに考えられるようになったり、どんな依頼がきても物怖じしないようになったり。何より知らないことは楽しめる要素があるということなので、意欲的に取り組めるそうです。日々の仕事にマンネリを感じたり、考えることが少なくなってるなぁと感じたら、ぜひ『知らないことに取り組む』を試して見てください。仕事に限らず、プライベートでも知らないことに本気で取り組むとかなり疲れますが、その分だけ自分の力になっていると言い聞かせてます。

 

 

あなたが、最近取り組んだ知らなかったことは何ですか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓ 

 

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先生は2人以上?

 

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 学校を卒業してすぐにあるデザイン事務所で長年働き、独立したAさん。彼の元には、それまで勤めていた事務所と同じことを低予算でやってほしいという依頼が多いそうです。そんな話を聞いて、それまでのイメージがついてしまって大変だろうと今までは思っていましたが、その事務所のやり方や考え方しか経験していないとなれば、同じことを求められるのも理解できます。実際のAさんは、実力もあって考え方も柔軟なので、その事務所の色に染まりきっているわけではないんですけどね…。

 

私にはデザインをしっかり教えてもらった師匠的な人はいないんですが、フリーランスでやっている人たちの中でうまく軌道に乗っている人は、いろんな人から教わってきている印象があります。だから、視野が広く、考える視点もたくさん持っている。優秀な師匠1人にしっかり教えてもらうのは素晴らしいことで、私もどちらかと言えばそうしたかったんですが、個人として見られたいのであれば、いろんな人から教わった方がいいとも思っています。師匠と同じ道を極めたい!その師匠のようになりたい!。それなら全く問題ありませんが、もしそうでないのなら、いろんな人から学ぶことも必要なのかもしれません。

 

 

あなたは、今やっていることを誰から教わりましたか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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スーパーボールに説明書は無い?

 

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 ずっと家具デザインに携わっていることもあって、有名な家具を目にする機会も多いのですが、先日見かけた作品の脇に、そのデザイナーが残した言葉が添えられていました。チャールズ・イームズさんのこんなひと言、「偉大でエレガントなデザインはスーパーボールだ」。その言葉の真意は分かりませんが、商品の特徴ではなく、説明の要らない遊び道具で自由な発想で遊べる点を指しているのだと思いました。利用者が可能性を広げていく?といったところでしょうか。

 

商品の取扱説明書に使い方や注意事項がビッシリ書かれているのを見ると、たまに窮屈に感じることがあります。家具だったら、子供はソファで飛び跳ねますし、誰しも電球を交換する時には椅子やテーブルの上に乗るものです。だから、それらを禁止するということは、利用者を少なからず窮屈にさせている。無茶な使い方で怪我をされたり商品が壊れてしまったら困るので、使い方を制限するのは仕方のないところもありますが、できれば自由に使いたい。危険は回避しなければいけませんが、何かを制限するという点がある限り、そのデザインには改善の余地が残っているということなんでしょうね。

 

 

あなたが、説明書を読まずに使っているものは何ですか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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ちょっとした変化を実感?

 

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 数ヶ月前から、このブログでちょうど1年前の記事リンクを貼るようにしてみました。1年前の記事を読み返すきっかけづくりの意味もあって読むんですが、たまに他人事のように感じることもあります。「1年前は、そんなふうに考えていたのかぁ…」。そのときの精神状態や環境でも考えることは変わりますが、変わっていることを実感できて少し安心していたりします。良い変化かどうかは抜きにして、1年前から少なからず変わっているからです。

 

大きな変化を実感することは多いと思いますが、微妙な変化はなかなか実感することができませんよね。私も、付き合いの長い友人から言われて自分の変化に気付く程度だったので、1年前を振り返る機会をつくってみてよかったと思っています。自分の変化を実感するには、こまめに何かを記録してみる。例えば自分が今、50メートル走のタイムを測ったとき、1年前より遅くなったとは感じません。でも、10代の頃よりは遅くなったと分かります。その違いは、記録を取っていたかどうか。私の場合はたまたまでしたが、もしちょっとした変化を知りたい場合は、何かしらの記録を取っておくといいかもしれません。

 

 

あなたは、どんなときに自分のちょっとした変化を感じましたか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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見えないところを描く?

 

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 子供の頃、学校の先生から「写真と同じように絵を描かなくていいからね♪」と声を掛けてもらって以来、私は絵を描くのが好きになりました。未だに上手くはありませんが、綺麗に描かなくてもいいというだけで楽しめるんですよね。「写真では分からないことを描いてみたら?」「この絵を観た人に、どんなことを伝えたい?」そんなふうに、いろんなことを教えてもらって、自由に描きまくっていたのを思い出します。

 

今思えば、見えないところを描くのはとても良いことで、想像力を養うことができますし、『見えないところを描く=伝えたいことを描く』なので、自然とメッセージ性のある絵になるんですよね。どんな匂いだったのか?暑かったのか寒かったのか?どの場所で自分がどう感じたのか?…など。そうやって絵の楽しみ方を教えてもらったおかげで、どんな絵を観ても楽しめるようになりました。抽象画でも、現代アートでも。はじめてピカソの晩年の作品を観ても、変な絵だとは不思議と思わなかったんです。「見えない反対側の顔も描きたかったのかなぁ…」。いろんな絵の描き方がありますが、見えないところを描いてみるのは面白いですよね。

 

 

あなたは、見えないところを絵で描いたことがありますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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原因探り癖?

 

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 仕事柄ではありませんが、普段と少しでも違う状況に出くわすと、私は原因を考えてしまう癖があります。「スーパーにいつも置いてある商品が無い…」「電車に乗っている人がいつもとどこか違う…」そんな些細なことで、原因は何だ?と考えてしまうんです。で、大抵は本当の答えが分からないので、自分の中でしっくりきた答えで納得してしまうんですが、これが私の欠点。高を括っているつもりは無いんですが、辻つまが合う答えが思い付くと、「まぁこの答えも1つあるな♪」と。

 

プライベートではいいんですが、これが仕事となると実は厄介で、しっくりくる答えが思い浮かぶと、それを完全に捨てられなくなってしまうんです。もちろん、自分の欠点は分かっているので、意識的に頭をリセットするように心掛けてはいますが、それがなかなか難しく…。常に柔軟でいなければならないのに、たまに凝り固まって自分の考えを外せなくなることがあります。少ない経験と知識でそれをやり続けると、切り口を変えて考えられなくなって、今よりも深く考えられなくなる。そんな恐怖があります。原因を探ってみる癖は、個人的にはとてもよい頭の体操だと思ってはいますが、自分の発想に納得し慣れてしまうことが、頭が固くなってしまう原因なのかもしれません。(これもまた同じですね…)

 

 

あなたは、自分の考えに納得しすぎていませんか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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