デザインのはてな

身近なところでたくさんの発見!

今作っているのは何料理?

 

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「日本料理は引き算」「フレンチは足し算」「中華は掛け算」なんて言いますが、素材の味を引き出す調理方法や味付けによって魅力を出す調理方法など目的によっていろいろありますよね。でも、もし今作っているのが何料理か分からないまま調理をはじめたとしたら、どうしたいのか目的のない、めちゃくちゃな味付けになってしまいます。本当は素材の味を伝えたいのに、調味料をたくさん加えてしまったら、素材本来の味は消えていく。

 

いろんな手段を持つことは強みではありますが、同時にその手段の選び方を身につけていないといけないと思っています。目的に対してどの手段がベストなのか?の正解はありませんが、手段を持っていれば持っているほどその選択が難しい。デザインの参考書は若い頃にいろいろと読みましたが、手段はたくさん書いてあるのに、選び方が書いてある本は意外と少ないんですよね。だから私は、選び方を学ぶようにしていた時期もありました。「こういう目的の時にこの手段を使うのかぁ…、なるほどね♪」。もし、自分の手段が増えてきたら、一度その手段を有効活用する方法を調べてみるのもアリかもしれません。

 

 

あなたは、目的に合わせて手段を選んでいますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓ 

 

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どうにか成功させる?

 

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 内容の薄い企画に対して、デザインで表面的に繕うことに強い抵抗を感じていた時期があります。ただ今思えば、そんな風に捉えてしまうのなら、本当はデザインをやる資格はないんですよね。これからやろうとしていることに意味を感じなかったとしても、それをカタチにするのが商業デザイナーの仕事でもあります。もし仮に、大した内容ではなかったとしても、それがデザインの力で大成功したらスゴいですよね。企画段階で大成功しそうなものでないとデザインしたくないなんて、よく考えたらおかしな話です。

 

私の周りで同じような仕事をしている人たちのもとには、結構な無理難題がやってきます。中には、「それやって意味あるの?」と感じるものも正直あったり…。でも、みんなそれを意味のあるところまで昇華させているんです。もともと良いものを良く見せるのは簡単なこと。良さが伝わりづらいことを良いと感じてもらうのは難しいこと。難しいことを避けて、簡単なことばかり選ぶということは、自分の力の無さを認めているようなものです。そういう人に限って、バッチリの企画に参加して大成功したことに「俺のデザインってやっぱりスゴいな♪」なんて思ってしまう。昔の私は、もろそんな感じでした。

 

 

あなたは、頼まれた内容に文句を言いたくなったことはありますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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他人の作品は見ない?

 

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 他人のデザインを、意識してあまり見ないようにしていた時期があります。特に自分が関わっている内容の他の事例は全く見ない。それよりも自然や日常の中のちょっとしたことや別の世界の物事を観察していました。理由は、そのデザインを鵜呑みにしてしまう怖さがあったからです。「こういうやり方も通用するんだな♪」「今受け入れられているのはこんな感じかぁ」世の中に出ているということだけで、他人のソレが正解の1つのように思えてしまったからです。

 

考えを整える前に他人の作品を見てしまうと、影響を受けたり無意識に真似をしてしまうこともあります。他人の作品を見るのはとても面白いし勉強になりますが、もし自分が影響を受けやすい性格なら、それを控えた方がいい。よく考えられた作品を模倣する癖がついたりすると、考えることを放棄してしまうことにもなり兼ねません。競合他社との差別化やクライアントからの参考事例など、どうしても見なければならない場合もありますが、考えるのが苦手な人は、自分で一度やってみるまで見ないほうがよいかもしれません。

 

 

あなたは、他人の作品を見ていますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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空っぽの箱を用意する?

 

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『メッセージ性のあるモノには、自分の想いを込めづらい。』 何を伝えるか?は、デザインや企画を考える上でとても重要なことですが、時にメッセージを込めない方がいい場合もあると思っています。それは、コミュニケーションをテーマとする場合。相手のメッセージを受け入れることもコミュニケーションなので、企画や商品にメッセージを織り込みすぎると、相手が想いを込める隙間がないんです。イメージとしては、空っぽの箱を差し出して、そこに使う人それぞれの想いを入れてもらうのがいい。

 

例えば、「この商品はこう使って欲しい!」となると、利用者はそのメッセージや意図に寄せようとしたり、見え隠れしたメッセージにあえて反発したりする…。それが相手からの一方的なものだと、窮屈さを感じることもあります。2人の会話に見えても、Aさんがずっと話をしていて、もう片方のBさんが相槌だけ打っているようなイメージです。それはそれでコミュニケーションではありますが、もし双方が自分の話をしたいのだとしたら、Aさんが少し話を控えるというコミュニケーションもあります。共感してもらうことが目的だったり、意図的にメッセージで影響を与えるようなケースもありますが、もし相手からも歩み寄ってもらいたいような場合は、詰め込みすぎると難しくなってしまうかもしれません。

 

 

あなたは、自分が入る隙間を感じたことがありますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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スタイルを変える方法?

 

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 自分の好みやお決まりのスタイルを持たないようにと心掛けていても、持ってしまうもの。自分ではスタイルが偏っていないつもりでも、他人の目から見たら「あ~◯◯さんぽいね」と思われていたりします。そんなとき、簡単にスタイルを変える・広げる方法は、他の誰かと一緒にやってみること。いわゆるコラボレーションです。相手にもスタイルがあるので、それを自分のスタイルと混ぜ合わせてみたり、相手のスタイルを受け入れることで、必ず自分だけでは生み出せない表現になります。

 

スタイルを持っていることは、決してダメなことではないと思っています。むしろ個性として持っているべき点なんですが、「あの人に頼んだらこうなるだろう」と、相手に与えるイメージまでお決まりになってしまうのは、あまりよくない場合もあります。例えば、スタイルの印象が強すぎると、イメージが湧かないことについて頼むのが不安になってしまったり、相手の頭の中で出来上がっている状態以上にアイデアが発展しなかったり…。私も自分のスタイルがありますが、ここ最近はできるだけ他人と関わって、いろんなスタイルを経験するように心掛けています。今まで経験したことのない表現になるたびに、自分のスタイルも変化するんですよね。

 

 

あなたが、自分のスタイルを変えたいとき、どうしていますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓ 

 

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ビールの味は、頑張った味?

 

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 ビールは美味しい。…でも、金曜日の仕事終わりに飲むビールと平日の真昼間に飲むビールは、微妙に味がちがいます。夏の太陽の下で飲むビールと、冬にこたつに入って飲むビールも。ちょっと働いていなかった時期に、ビールを飲んでも美味しいと感じないこともありました。ビールは大好き。それなのに、美味しくない気がする。正確には、前に飲んでいたときよりも美味しくないんです。気のせいか、頑張った量に比例して美味しく感じるような…。

 

消費者の行動や利用環境のちがいで、味に限らず、そのモノの効果や満足度が変わることってありますよね。でも、満足できる結果が得られたとき、それらを外して『うまくいった理由』を考えてしまうことがあります。「このビールを美味しいと感じる理由は、製法が〇〇で麦芽が△△で…」。それは正しい理由なんですが、それが全てではないはず。「このビールは、こういうシチュエーションで飲む機会が多いから、苦さを抑えた点が…」なんて理由もあっていい。本当の理由を捉えるのはとても難しいことですが、そのモノだけを見ていると狭い範囲の理由に留まってしまうので、次にまた良い結果を出せなくなってしまいます。キャンプで作ったカレーは美味しいけれど、みんなで頑張って作るから美味しくなるような気がします。

 

 

あなたは、同じモノなのに違いを感じた経験はありますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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合わせればいいだけ?

 

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 自慢でも何でもありませんが、他人と空間を共有しているときに、空調(室内の温度)に注文をつけたことがありません。暑かったら上着を脱げばいいし、寒かったら着ればいいからです。暑かったり寒かったりはするんですが、それは自分がそうなだけかもしれないと思っていて、自分に合わせて変えたら、それまで快適だった人が心地よくなくなることもあるだろうなと。風邪気味で体調がわるい人がいたら、周りが少し暑いのを我慢すればいいだけの話ですから。

 

優先することがあれば変える必要はありますが、優先すべきことがないのなら、変えることで歪みが生まれるかもしれませんよね。自分にとってはちょっとした変更でも、誰かにとっては大きな変更になることだってあります。例えば、お店はこの時期クーラーを効かせています。中で働いている人はきっと寒いぐらい。でも、暑い中歩いてきたお客さんにとっては心地いい温度です。変えることに躊躇したり慎重になる必要はありませんが、優先すべきことは何か?を考えて変えないと、自分が心地いいだけになっていることがあるので気をつけたいところです。

 

 

あなたが、周りに合わせていることは何ですか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓ 

 

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些細なこともフィードバック?

 

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「作ってもらったあの作品。この間、見に来た人が惚れ込んじゃってね~。学生さんだったんだけど、必ず買うのでバイト代入るまで取って置いてください!って言われて、本当に月末にお金持って買いに来てくれたんだよ♪自分で作った作品じゃないけど、あんなに嬉しい気分になったのは久しぶりだね~」。たまたま入った陶芸品を販売しているお店の軒先きで、店主さんと作った陶芸家(と思われる)が、そんな話をしていました。

 

 何かをやった後、どんな反応だったのか?どんな結果だったのか?どんなことが起きたか?など、ちょっとしたことでもフィードバックすることが大切だと思っています。でも、面倒くさがって自分から伝えなかったり、聞いても返ってこなかったりする。良かったことに限らず、良くない結果になったとしてもそれを伝えないと、一方通行の関係になってしまうんです。仕事でも、入り口だけ密にコミュニケーションをとって、ことが済んだらさっぱり連絡しないなんてことを繰り返していると、ただお金のやり取りをするだけになってしまうので、そうならないように気をつけたいと思いました。

 

 

あなたは、何かをやってもらった後、ちゃんとフィードバックをしていますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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レベル90のおじいちゃん?

 

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 随分前に聞いたあるラジオ番組の中で、『若者が年上の人を敬うようになるアイデア』をリスナーに募集していました。お笑い芸人の方がパーソナリティーを務めていたので、面白いアイデアばかりでしたが、その中でキラリと光るアイデアが…。それは「年齢をレベルに言い換える」です。「あのおじいちゃん、レベル90になったんだって」「マジで!? 俺はまだレベル21だよ。」経験を重ねるほど強くなっていくゲームの世界にうまく例えているのも秀逸ですが、若者も共感できる身近なことに置き換えている点がすばらしいな~と、ラジオを聞いていて関心してしまいました。

 

でも仮に、このアイデアを会議やディスカッションの場で出したとしたら、「何をふざけてるんだ!」とピシャリと遮られます。本当はこういうアイデアを出せる空気がとても大事で、直接的に採用できるものではなかったとしても、『若者の身近なことに置き換える』『たくさん経験を積んでいる点にフォーカスする』など、他のアイデアに発展するきっかけになるもの。マジメな意見や現実的な意見を出そうと萎縮するぐらいなら、何でも言ってみた方がいい。私はよくふざけた意見を出しますが、たまにシラけてしまうんですよね。「マジメに考えてるんだけどなぁ…」。

 

 

あなたは、ふざけたアイデアを出していますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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あるモノでつくる?

 

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 幼い頃、よくLEGOブロックで遊んでいました。ただ、決まったモノを作ることはほどんどなく、ヘンテコな街や乗り物を作っていたんですが、そのときの経験がかなり今の仕事のやり方に影響しています。誕生日に買ってもらうぐらいだったので、パーツは偏っていたり不揃いだったり…。手元にあるパーツをやりくりして、無いモノは別の何かで代用していました。揃っていないのが当たり前。今思えば、別の何かで代用することをそこで自然に学んだような気がします。

 

デザインの仕事をはじめてからも同じような感じで、そりゃ良い道具が揃っていて最新のパソコンに最新のソフトが揃っていれば快適ですが、別に揃ってないからといって仕事が全くできないわけではないんですよね。最低限必要なものさえあれば、足りないところは別の何かで補うことができる。予算が少ない中でどうにか実現するような仕事も多かったので、続けているうちにどんな状況でも対応できる力が少しは身についたように思います。何でも揃っているのが当たり前になってしまうと揃っていないときに困ってしまう。たまには何かを制限して、別の方法で対応してみるのも面白いかもしれません。

 

 

あなたは、何かが足りないとき、別の何かで対応した経験はありますか?

 

 

余談ですが、10年以上前、日本人で初めてのLEGOデザイナー募集!という求人があったので迷わず応募しましたが、二次試験で落ちました。ちなみに二次試験の内容は、「赤いバケツ」という基本パーツが入ったセットを配られて「さぁ好きなものを作ってください!」。めちゃくちゃ楽しかったです。

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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大げさなカメラは使わない?

 

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 あるテレビ番組の撮影に立ち会った人から聞いた話ですが、その番組ではあえて小ぶりなカメラで撮影するそうです。ドキュメント番組ということもあって、できるだけ自然な表情を引き出したい。だから、カメラの存在が気にならないようにするというのです。確かに、でっかいカメラを担いていたら、どうしたって気になりますよね。映像を撮られた経験はなくても、写真なら誰しも経験があるはず。卒業アルバムや免許の写真がこわばっているのは、「撮影しますよ!」という圧力があるからだったりします。写真館のような場所で撮影するなら尚のこと。

 

そう考えると、スマホのカメラ機能がどんどん進化していくのも、またちがった捉え方ができます。わざわざデジカメを携帯しなくてもスマホで気軽に撮影できるから受け入れられていると思っていましたが、もしかすると、気軽なのは『撮影する人』ではなくて『撮影される人』なのかも?。一眼レフカメラを構えられるより、スマホでパシャっとやられる方がまだ気が楽です。この感覚は撮影に限らずとても大事なことで、良かれと思ってやっていることで相手を緊張させたり萎縮させてしまっているケースも時にあります。意図的に緊張感を与えるようなケースは別として、自分のやっていることで相手に余計なプレッシャーを与えていないか?を考えてみるのもアリかもしれません。

 

 

あなたは、何がきっかけでプレッシャーを感じましたか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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傷がつきはじめたら気にならない?

 

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 私は子供の頃からサッカーをやっているんですが、新しいシューズをおろすと必ずみんなから踏まれるというお決まりの儀式がありました。それは、ただの嫌がらせではなく、一度汚れてしまえば気にせずに使えるという理由からきたものです。「買ったばかりだから汚さないように使おう…」なんて思っていたら、思い切ったプレーができない。確かに、しばらくの間は「汚さないように、汚さないように♪」と気をつけながら大事に使うんですが、いざ汚れはじめると気にならなくなってしまったりします。もちろん、ずっとキレイに使っている人もいるので、みんながみんなそうというわけではないんですけどね。

 

少しでも汚れはじめると、気にならなくなってしまう。それは、いい意味でもわるい意味でもいろいろな物事に当てはまるような気がします。例えば、ゴミひとつ落ちていない歩道でも、誰かがゴミを捨てはじめたら、あっという間にゴミだらけになったり。何かで一度手を抜くことを覚えてしまったら、やっぱり二度目、三度目と続いてしまいます。だから、何かをキレイに保つためには、少しも汚れていない状態にしないとダメなのかもしれません。中途半端にキレイにしても、たぶんまたすぐに汚れてしまう。一度汚れはじめたモノを元に戻すのはとても大変なことで、それを実践している事例を見るたびにただただ感心してしまいます。

 

 

あなたが、汚れても気にならなくなったモノはありますか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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カラダが資本?

 

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 歳をとったなんて思いたくはないんですが、やっぱり若い頃と同じように無理ができなくなってきていて、ちょっと気を抜くと風邪を引いたりしてしまうので、体調管理には十二分に気をつけています。デザインと言っても私の場合は、スケッチを描く手はもちろん、物を運んで組み立てたり現場の採寸をしたりと、意外とカラダを使うことが多いんですよね。プロダクトのデザインやインテリアコーディネートの仕事が続くと、どこかしら痛くなっています。

 

はじめてデザインの会社に面接に言ったときに、最初に聞かれたのは、「君、カラダは丈夫?」でした。冗談半分で「デザイナーに必要なのは体力」なんて言いますが、ハードワークをするという意味ではなく、やっぱりカラダのコンディションが常に整っていないと良いデザインはできないんですよね。自分の経験に照らし合わせても、カラダの調子がいいときはやっぱりデザインに力があるような気がします。道具の手入れも大事なことですが、一番の道具はカラダなので、たまにはお手入れをしてみてはいかがでしょうか。

 

 

あなたは、カラダのコンディションを良い状態で保っていますか?

 

 

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禁止のシワ寄せ?

 

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 自宅のすぐ近くには大きな川があって、たまに河川敷に散歩に行きます。土日には橋の下で若者がドンチャン騒ぎをしているんですが、あるタイミングからその数がドッと増えました。1回目は、川向こうの地域がバーベキューを禁止したとき。2回目は、2つ向こうの橋付近でバーベキューを有料化したときです。禁止エリアが増えるにしたがって、唯一無料でバーベキューが黙認されている自宅近くの河川敷に集中してしまったというわけです。

 

禁止されたエリアに行くと、ゴミも無く、穏やかで過ごしやすい快適な環境。もし自分がここに住んでいたら、禁止してくれた良かったと感じているかもしれないなぁ…なんて思います。逆の立場にいたら分からない。禁止するということは、それまでそこで満たされていた人が、別の何かで満たそうとするということでもあります。その『別の何か』を用意しないまま禁止だけしても、「他ではやってもいいよ」と言っているにほぼ等しい。地域の禁煙エリアをギリギリ超えた辺りに、タバコの吸い殻が山のようになっていたりすると、考えさせられるものがあります。

 

 

あなたが、何かを禁止されたときは、どんな行動の変化がありましたか?

 

 

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ちなみに、1年前はこんな記事でした↓

 

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知らないことは調べる?

 

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 知っていることは調べない…。特に何回も経験していることや常に関わっていることとなると、調べることが重要だと頭では分かっていても、なかなか行動できないものです。私もその1人ですが、そんな人にオススメな方法として教えてもらったのは、『知らないことに取り組む』です。自分の専門外の分野だったらイヤでも調べるので、自然に新しい知識や経験が身に付く。当たり前の話ではありますが、無縁の業界について調べるのは結構大変で、頭を使う作業なので良い刺激になります。

 

知らないことに取り組むメリットは他にもたくさん合って、定説や事情などに捉われずに考えられるようになったり、どんな依頼がきても物怖じしないようになったり。何より知らないことは楽しめる要素があるということなので、意欲的に取り組めるそうです。日々の仕事にマンネリを感じたり、考えることが少なくなってるなぁと感じたら、ぜひ『知らないことに取り組む』を試して見てください。仕事に限らず、プライベートでも知らないことに本気で取り組むとかなり疲れますが、その分だけ自分の力になっていると言い聞かせてます。

 

 

あなたが、最近取り組んだ知らなかったことは何ですか?

 

 

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*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。 

 

ちなみに、1年前はこんな記事でした↓ 

 

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