デザインのはてな

身近なところでたくさんの発見!

出来ないことをやってみる?

 

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 有難いことに、最近は仕事を頼まれることが少しずつ増えてきて、時には出来ないことも相談されるようになりました。経験の無いことや能力的に足りないこと、時間や予算の制限で出来ないことなど様々ですが、これらをやってみるようにしています。もちろん、相手の迷惑にならないように、自分で手に負えないことは出来る会社や人を紹介したりするんですが、ただバトンを渡すだけではなく、やってみることが個人的にはとても学びが多いと感じています。

 

出来ないことをやると、どれくらい出来ないのかがハッキリ分かります。もちろん、「出来ませんでした…」で終わってしまったら何も得られません。自分が出来ないということは、他の出来る人にお願いしなければならないので、その出来る人がどうやったかをきちんと考察することで、自分のやり方とどう違ったのかが具体的にわかるんです。「あの部分は知識を身につければ出来るようになるかも!」「あそこはもっと表現の幅を増やさないとダメだなぁ」など、出来る相手と出来ない自分を比較すると、足りないことが顕著に表れるんですよね。他人と比較する必要はないとよく言いますが、その人のやっていることを出来るようになりたいのなら話は別。はじめから経験や力量に差があると分かっていても、実際にやってみないとその差は曖昧なままのような気がします。

 

あなたは、実際にやってみたときに自分が出来ないと分かったりしませんでしたか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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他のお店で買いました?

 

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 先日、妻と結婚式に参列するための服を買いに、あるショッピングセンターに出掛けました。そこには専門店が3つほど入っていて、ひと通り下見したところ、欲しいものはあるものの、お店がバラバラ…。A店のドレスとB店のボレロといった具合に、1つのお店で完結することができず、とりあえずメインのドレスを購入。その後、気まづい感じで別のお店に戻ると、店員さんは気持ちよく受けいれてくれ、ボレロを選びやすいようにと他所で購入したドレスをその場で試着させてくれました。自分のお店でもドレスを販売しているのに…。でも、こういった接客がスタンダードになりつつあるような感覚があります。

 

例えば、あるショッピングセンターでは、1フロアに家具屋さんがたくさん入っていますが、C店で気に入った椅子をD店に持ち込んでテーブルに合わるといったことが普通に行われているんです。「逃すぐらいなら少しでも売上げになったほうがいい」と考える人も中にはいるかもしれませんが、私は単純にお客さんの満足を優先しているからだと思っています。結果、売れる。趣味嗜好が多様化している今の時代、自店でお客さんの希望を全て叶えるのはきっと難しい…。それが分かっているからこそ、スッと「ご希望の商品なら、あのお店に確かありますよ!」なんて気の利いたことが言えるんだと思います。ただ、そういうお店がうまくいっている一番の理由は、そんなふうに対応してくれる店員さんがいることだったりしますけどね。

 

あなたは、1つのお店で欲しいものが全て揃ったことがありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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届きそうなら挑戦する?

 

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 はじめての就職活動。私はもともと行きたいと思っていたA企業は受けませんでした。理由は、そのA企業のインターンにも参加できず、求められる能力があまりに足りていなかったからです。そのため、近いことをやっている別のB企業を受けました。B企業なら、もしかしたら手が届くかもしれないと思ったから…。でも、私と同じような境遇と能力の同級生は、A企業を受けて見事に合格しました。きっと彼は、手が届くかもしれないと思っていたから挑戦したんだと思います。

 

届きそうなら挑戦する。逆に考えると、挑戦してほしいと思ったら、手が届くかもしれないと思ってもらう必要が出てきます。私の同級生のようなタイプだったら何の問題もありませんが、当時の私のようなタイプだったら、「手が届かない…」と思うことも多く、なかなか挑戦するまでに至りません。そんなときは、手が届くと思えるところから段階を踏んでいく。他でキャリアを積んで、最終的にA企業に入るという方法もあるわけです。私は、自分がそういうタイプであるにも関わらず、人に何かを教えるときに『段階を踏んで教える』がいまいちピンときていない時期がありました。だいぶ経ってからやっと理解できましたが、どうして挑戦してきてくれないのか不思議で仕方なかったんですが、そのときの相手にとっては全く手が届かないことばかり話されて、挑戦しよう!と思えなかっただけのように思います。

 

あなたは、どんなことに挑戦しようと思いますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

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住宅街で簡単にタクシーがつかまる?

 

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 テレビドラマを観ていて、「こんなオシャレな部屋に住んでる人いないでしょ」「なんで住宅街でパッとタクシーがつかまるの?」と、昔はよくツッコんでいました。そんな状況は無いと思っていたからです。でも、どれも嘘じゃない。ドラマのセットのような部屋に住んでる人には何人も出会ったことがあるし、所得の高い地域や高齢者が多く交通の便がわるい地域では、普通にタクシーが住宅街を流しています。どれもたまたま見かけただけかもしれないと思って、タクシーの運転手さんに聞いてみたところ、駅前で長時間待ってワンメーターのお客さんを乗せるよりも、そっちを選ぶ人が結構いるそう。

 

私はどちらかというと、経験の無いことは信じられないタイプです。経験のあることでも疑ってかかることが必要だと思っているぐらいですが、時には素直に受け入れた方がいいとも思っています。ドラマだったら、そんなところに茶々を入れずにストーリーを楽しんだ方が単純にいいですよね。仕事柄、矛盾点や一般的ではないところなどを粗探ししたりすることも多いので、私は正直なかなかストレートに受け取れないんですが、プライベートの時はできるだけ気にやらないようにしています。素直に受け取ることができないで損をしていることって、実は結構あるような気がします。粗探しをしてもメリットはあまり無いんですよね。

 

あなたは、疑ってたけど実は本当だったkとおは何かありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

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アナログなひと手間?

 

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「どうしたら温かみを感じてもらえるか?」「親近感を持ってもらえるか?」商品を手に取ってもらったり、興味を持ってもらうためには、“アナログ”は欠かせないと思っています。買い物の目的が明確で、それをめがけて買いに行く場合を除けば、それがないときっと難しい…。昔、こんなことがありました。パソコンでキレイに作り込んだ店頭POPをいつも用意していたんですが、あるとき商品の画像が用意できずに仕方なく手書きのイラストで店頭POPを作成。すると、それまでよりお客さんに見てもらう確率が高くなったんです。もちろんそれまでと商品は異なるので、一概には言えませんが、これはきっと“アナログ”のチカラ。

 

とっつきづらそうなビシッと決めた人でも、ワイシャツの裾がズボンからはみ出ていたら、どこか親しみやすさを感じたりするように、とっつきやすいモノは良い意味で崩したところがあります。それこそ店頭POPも、手描きのコメントは親しみやすかったり…。全部同じ向きに揃って整然と並んでいるよりは、1カ所でもちがう陳列になっていた方が良かったりします。つい先日、本に挟むしおりをイベントに参加した方にプレゼントするため、しおりを印刷屋さんに依頼して作成しました。とてもキレイな仕上がりでしたが、冷たい感じが…。そこで、穴を開けてイベントスタッフみんなで紐を通しました。手間のかかる作業ですし、1つ1つバラつきがあって美しい仕上がりとは言い難いものではありましたが、結果的にそれがとても良かったと思っています。

 

あなたは、アナログなひと手間でほっこりした経験はありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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1つダメだと全部ダメ?

 

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 たった1つ、ダメなところを目の当たりにしてしまっただけで、全体的にわるい印象を抱いてしまうことがあります。例えばバーベキュー。スピーカーを持ち込み爆音で音楽をかけ、ゴミを散らかして帰るグループに出会ったことがあれば、バーベキューはマナーの悪い人が多いと思ってしまいます。もちろん逆に良い印象に変わることもあって、スケボー少年達のマナーにあまり良いイメージがありませんでしたが、きちんと決められた場所で楽しんでる少年達をよく見かけるようになって、正直イメージは変わりました。たった1つが全体のイメージを左右する。

 

以前、お店を運営する方から、「どういうところを気をつければ、お客さんに良い印象を持ってもらえますか?」と尋ねられた際、自分の経験を思い出しながら「う~ん、全部ですね…。」と答えたことがあります。商品が飛び抜けて良くても、手厚いサービスがあっても、床の隅っこがホコリだらけだったら、同じような意識で商品を扱っていると感じるかもしれません。体感ですが、10-10-10-10-0 で平均点が8のお店よりも、7-7-7-7-7 で平均点が7のお店の方が圧倒的に売れているイメージ。たった一箇所の手抜きが全体的にイメージを損ねてしまうこともあるので、そこはできるだけ気をつけるようにしているんですが、なかなか難しいもので、個人的には苦い思い出もたくさんあります。

 

あなたは、ダメな所を見てしまってイメージがわるくなったことはありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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言わずして伝える?

 

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 直接的に伝えると、受け手には多かれ少なかれストレスがかかると思っています。「これは○○なんです!」と言われたとしたら、別に求めていない情報の場合はストレスになりますし、その情報を受け入れるかどうか問われているようなところもあるので頭を使う分、疲労を伴います。Aさんはいい人だと伝えたいときに、「Aさんはいい人です」や「この前、Aさんがこんなことをしてね…♪」といった伝え方をされても、素直にAさんがいい人だとは思えなかったりするように、直接的な発信が必ずしもその通りには伝わらない。もしいい人だと素直に思えるとしたら、ふとしたAさんの言動を見て「この人はいい人そうだなぁ」と感じたときのような気がします。

 

受け取る情報と感じる情報には大きな違いがあると思っていて、より深く相手に実感してもらいたいときは、直接的に伝えるよりも感じてもらった方が良かったりします。昔、ある体験をしたとき、その教室の先生が楽しめるポイントを色々と話してくれたことがありました。「こういうところがこの体験の魅力なんです!」。自分で楽しいポイントを探したかった私は、ひねくれた性格なので、教えてもらった楽しみ方以外の楽しみを探してしまいました。自分から取りにいった情報にはストレスがない。もちろん何も伝えずに相手に伝わることはないのですが、直接的に伝えることだけが『伝える』ではないので、口に出さずに伝える方法を色々と知っておくと、本当に響かせたいときに役立つかもしれません。

 

あなたは、口に出さずに伝えたときはありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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誰に注意されたら恥ずかしい?

 

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 突然ですが、自分が歩きスマホをしていたとして、誰から注意されたらすぐにやめて反省するでしょうか。お年寄り?50代のおじさん?同世代の異性?…。私だったら、子供から注意されたら恥ずかしくなって反省するような気がします。逆に同世代だったら、その場でやめたとしても「あなただってやってるでしょ?」と不満を抱くかもしれません。

 

変な質問をしてしまいましたが、注意を促すようなポスター等に、どうして動物やアニメを採用するのか気になっていたんですが、理由の1つは「誰から言われたら恥ずかしいか?」ではないかと思いました。幼い子供は、親に怒られてもやめないのに、仮面ライダーやプリキュアに注意されたらやめたなんていう話も聞いたことがあります。きっと、アニメが好きな人がアニメキャラクターに注意されたら恥ずかしくなるだろうし、誰でも可愛らしい動物に注意されたら恥ずかしくなるはず…。また、特定の人ではなく抽象的な対象だからこそ良いところがあって、どんなトーンで注意されてるかも自分の受け方次第だったり、仮に注意されて憤慨したとしても反発する具体的な相手がいないので、そんなところも理由の1つのような気がします。動物やアニメを採用しているのは、結果を求めたから生まれた表現なのかもしれません。

 

あなたは、誰から注意されたら直そうと思いますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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できるだけ大きく描く?

 

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 デザインの仕事でスケッチをするときに、私の場合は大きく2パターンあります。1つは、メモ帳などにゴチョゴチョと小さく描く。それは、アイデアを広げたいときの描き方で、小さい画ではディテールが分からないので、想像の余白があっていろんな解釈ができるからです。もう1つは、紙いっぱいにできるだけ大きく描く。それは、デザインを考えるときの描き方で、大きいほど細かなところが見えてくるので、粗を見つけやすく詰めなければいけない所がたくさん見つかります。

 

その2パターンが良いわけではありませんが、中途半端な大きさで描くのはあまりオススメしません。理由は、前述のどちらもそのスケッチでは叶わないからです。全体像が何となく分かると想像しろが少なくなってアイデアは広がりづらくなり、細かな点は見えないので何となく良いデザインにまとまってるように見えてしまう…。学生時代、用紙の3分の1ぐらいの大きさで画を描いていたときに「そのスケッチは何で必要なの?」と突っ込まれて以来、「今、どうしてその画を描いているのか?」と自問自答するようになりました。イラストレーターやグラフィックデザイナーはまた意味が変わってきますが、それがプロダクトデザイナーだったら、どことなく綺麗にまとまったスケッチにはほとんど意味がなかったりします。もちろん自分がやりやすい方法が一番ですが、一度立ち止まって今やっている作業の意味を考えてみると、ちがうやり方にしたほうが良いと思えたりするかもしれません。

 

あなたは、絵を描くときにどのぐらいの大きさで描いていますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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ちゃんと知らないけど知ってる?

 

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 Rは「Roof(屋上)」、Bは「Basement(地下)。それを知らなくても、日常生活では不自由しないし、仮に自分がエレベーターのボタンをデザインすることになったら、きっと普通に「R」や「B」を使います。意味を理解していないことは普通なら調べますが、今まで幾度となく目にしている裏付けのある情報なので、そのままでも十分活用できるんです。一方で、曖昧な情報は深く掘り下げていっても、そこに確かな裏付けが無いので、キリがありません。時には間違った知識として頭の中にストックされてしまうこともあります。『「Roof」の頭文字からとったR 』は不確かな情報ですが、『 R=屋上 』は確かな情報。

 

詳しいことは知らないけど、よく知っている有効な情報をきっと私たちはたくさん持っています。でも深く知ろうとして、ネットで調べたことを鵜呑みにしてしまうと、有効な情報が曖昧な情報に変わってしまいます。先ほどの「R」。「Roof top」という話もあれば、屋上ヘリポートなどで使われている「Rescue」のRと混同している話も出てきたりします。どんどん頭がこんがらがってしまいそうですね。ネットなどで調べずに昔から知っている情報は、意外と確かなものだったりします。情報で溢れる時代になっても頭の中に残り続けているということは、それだけ精度が高い情報とも言える。間違ったことや曖昧なことはきっと残り続けません。もしかすると、年齢を重ねた人ほど、長年かけて精査されたとても有効な情報を持っているかもしれません。

 

あなたが、深くは知らないけど知っていることはありますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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想定の範囲内?

 

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 自分の伝えた通りに相手にやってほしい場合、伝えたときの状態が10だったら、仕上がりは10以下。要点だけを伝えてあとは相手にまかせる場合、伝えたときの状態が5だったら、仕上がりは1~10の間。それらと比べて、自分の伝えたいことは全て伝えた上で相手に任せるという方法をとると、10が10以上になる可能性が生まれます。それが10を下回る場合ももちろんありますが、前述の2つでは、10以上の仕上がりには決してならない。だから、勝負所や普通に競っても太刀打ちできないようなときには、そういった方法をとるケースもあります。(数字はどれも感覚値なので、あくまでイメージで…)

 

自分がどちらの立場にいても個人的に楽しいと感じる仕事は、どちらも遠慮しないし主張しているように思います。たぶん意識せずにそうなっているのだとは思いますが、最終形を1ミリでも良いモノにしたいとお互いが考えると自然とそうなる…。意見が全く同じということはあり得ないので、細かなことでも議論がないときはどちらか一方が相手の意見をのんでいるので、その部分ではきっと想定以上の変化は起きない。仕事は、時間が制限された中で行うものなので、お互いが全てをぶつけてうまくまとまるなんて綺麗事を言うつもりは決してありませんが、10の仕事を10.1にしようとする姿勢の人に私は惹かれてしまいます。

 

あなたは、最終的にどうなるか分かっていることを楽しめますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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ちがうタイプを混ぜてみる?

 

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 スタッフに刺激を与えて社内を活性化させようと、今までに無かった能力を持つ人や変わった経験のある人など、毛色のちがう人を採用することがあります。それまでいないタイプの人はとても刺激的で、個人的にはそのままでいてほしいと思うんですが、どう言うわけか少しずつ元々いたスタッフと同じようになってしまったり、肌が合わずに離れてしまったりするイメージがあります。それは、受け入れた会社が、自社の社風に合わせようとしてしまうから。直接的に何もしていなくても、空気がそうさせてしまったりもします。いい意味でかき乱すために加わったはずなのに、かき乱すと拒絶されてしまう..。規則を守らなかったりすれば別ですが、そうではない所まで合わせようとするのは不思議で、ちょっとしたトラブルや上手くいかないのは想定の上で採用したはずでは?と思ってしまうこともあります。

 

学生時代には仲良しグループがたくさんありましたが、当時から私が不思議だったのはAグループとBグループが交わらないこと。学校はそれでいいんですが、会社や仕事でも仲良しグループに固執する必要はないし、むしろ交わらないと今の位置からずっと変わらなかったりもします。会議などでも、同じような意見しか出てこない会議はあまり意味がありませんが、考え方や価値観が異なる人が議論すると思いもよらないアイデアに発展したりします。同じような人たちで固まっても、同じようなアイデアしか生まれない。私は人の好き嫌いがはっきりしていて、関わりたくないと思ってしまうことも多々あるので偉そうなことは言えないのですが、それでも、タイプのちがう人と関わった方がプラスの効果があると思っています。

 

あなたは最近、自分と全然ちがうタイプの人と交流していますか?

 

 

 

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どれが一番か決められない?

 

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「一番伝えたいことは何?」。幾度となくツッコまれてきた言葉で、消化できるようになるまで私の場合はとても苦労しました。「どれも伝えたいから、一番なんて決められない…」。そのときの私の頭の中は、3つ伝えたいことがあったら 100・0・0 にしなければならない、といった感じ。極端に言うと、一番伝えたいこと以外は伝えられないと考えていました。でも、同じように一番を決めた人の中には、60・30・10 の割合の人もいれば、40・30・20 の割合にする人もいる。ぶっちぎりで一番になるものばかりでは無いと考えたら、そこからとても楽に考えられるようになりました。

 

選ぶのが苦手な人は、AとBのどちらかでAを選んだらBを捨てるという発想になりがち。でも、楽に選ぶ人は少しちがって、Aを選んだけど、別の機会にBを選べばいいという発想だったりします。飲食店でメニューを2択で迷っても、次に来たときにもう一方を注文すればいいだけです。例えば、広告に伝えたいことをトコトン詰め込むようなケースがありますが、それは残念ながら全て伝わらないことが多い。それを、仮に絞り込んで1つにしたら、それは伝わる確率が高くなります。他のことを伝えるのは、その後でも遅くはなかったりします。どうしても伝えたいことが埋もれないためにも、一番を選ぶ練習はしておいた方がいいかもしれません。

 

あなたは、いくつかの中から一番を選ぶのが得意ですか?苦手ですか?

 

 

 

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書いたら量を半分にする?

 

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 このブログの記事は、だいたい1000~1200文字ぐらいザーッと書いてから、半分ぐらいの文字数になるように、まとめたり不要なところをカットしたりしています。はじめから予定の文字数に収める書き方をすると、文章力が低い私はどうしても内容が薄くなってしまうので、倍ぐらい書いてから半分にしているんです。そうすれば、普通に書くよりいくらかは内容が濃くなるから。本当はそれを何度も繰り返して濃度を高めていった方がいいんですが、そこはサラッと書くことにも意味があると思っているので、結局そこまで詰めきれずに内容が薄いままなんですけど…。

 

誰から教えてもらったか忘れてしまいましたが、あるとき「それを半分の文字数で言い換えたら?」と言われたことがあります。すると、そのときの私の文章は、簡単に半分の文字数で表現できることに気づきました。そして、それを繰り返してこれ以上要約できないとなったとき、それが本当に言わなくちゃいけない内容だと。あえてまわりくどい言い方をしたり、余計なことも交えて話したり、同じことを繰り返したりすることも素晴らしい伝え方なので、短く伝えることが全てではありません。でも、短い言葉で伝えるべきときもある。そのときに本当に伝えたいことを伝えきれないのはもったいない。いろんな勉強方法があると思いますが、教えてもらったトレーニングが私にとっては効果的でした。濃い味にするのは、味付けを濃くする方法もありますが、水分を飛ばして濃縮する方法もあるんですよね。

 

あなたが、中身を濃くするとしたら、どんな方法を用いますか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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演出にこだわった結果...?

 

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 この前のブログで『演出が足りない?』という記事を描いた数日後、実際に演出を意識したプレゼンテーションを行いました。打ち合わせ場所の環境もあってマンガほどはできませんでしたが、提案の中に出てくるTシャツを実際に作って着たり、模型を作ったり、壁に実際と同じ大きさのポスターを貼ったり…。「Tシャツを着た人が~」と言葉で伝えるよりも、目の前の人が実際に着ていた方がイメージが湧きますし、「このポスターはこのぐらいの大きさで~」よりも、こう見えますと実寸のポスターを見てもらった方が単純に分かりやすいからです。でも一番は、自分たちの熱量を感じてもらいたいから。本気で考えていることを資料や姿勢だけでなく、空間ごと感じてもらいたかったからです。

 

例えば、打ち合わせ。どんなに一生懸命考えてきていても、どんなにその打ち合わせに賭けていたとしても、小さなメモ帳とペン1本だけ持って参加していたら、残念ながらやる気がないと思われてしまいます。それが仮に、山積みの資料を抱えてボイスレコーダーをスタンバイして、質問事項をまとめたメモを手元に置いていたら、やっぱり周囲の見る目は変わるはず。私はそいういったやる気がある感じをあえて見せるような『ポーズ』がどちらかというと嫌いでしたが、それと相手がどう感じるかはまた別。私の外見もやる気がないように見えてしまう問題があったので、あるときからはきちんと示すことを意識するようになりました。以前の記事にも書きましたが、演出は少なからず必要なことだと、先日のプレゼンテーションを終えてあらためて感じました。

 

あなたが、やる気があると感じたのはどんな人でしたか?

 

 

 

*イラストに登場する人や物は、すべて架空の設定です。内容は偏った見解ですが、物事を考える上で何かひとつでも気になってもらえたら嬉しいです。ちなみに、1年前はこんな記事でした↓  

 

 

 

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